あれは小学校何年生の頃だっただろうか。
授業中、担任の先生が「このプリントにある問題を解いてください。時間は1分です」と言った。
配られたプリントには算数の問題がいくつか書かれている。
「これを1分で? いや無理でしょ」
小学生になり、1分という時間の短さを知っていたぼくは、1分ではほとんどなにもできないと思っていた。
ファミコンは30分だけと言われているけれど、それでも短すぎる。まして1分だなんてなにもできないじゃないか。
先生が時計を見て、開始の号令をかけた。クラスの全員が一斉にプリントに向き合った。ぼくも問題を解いていった。
「あれ? 意外とできるかも。まだ1分たたないのか」
答えを記入しながらそう感じていた。
「おわり」
1分後、すべての問題を解いたわけではないけれど、目の前には意外と答えが記入されているプリントができあがっていた。
「1分でこんなにもできるのか」
そのときにぼくは1分の長さを知ったのだ。
タイムリッチという幻想
さて、いまの仕事は勤務時間という時間制限もなく、やりたいだけできてしまうのが現状です。まるで可処分時間が増えたような、タイムリッチになった感覚になることもあります。
それが原因か、結局は寝る直前までパソコンに向かい、まだ仕事の頭のまま布団に入り、寝付きが良くない日々が続いてしまっております。
「これはいかんよなあ」と思っていたときに小学生の時の1分の長さを体感したことを思い出しました。
時間があると思うと1分という時間を無駄に過ごしてしまいがち。それが重なり寝るのが遅くなるし、他のことができなくなる。タイムリッチは幻想ですね。
結局は1分の積み重ね。時間の使い方を見直さないといけないと考えている今日このごろです。
目の前の1分に集中する。
あのときの先生は1分という時間の長さと、そのなかでできることの多さを教えてくれようとしたのだと、いまになって思います。