3年前の自分はなにをしていただろう?
2021年の9月に退職して約半年間は仕事らしい仕事もなく、頼まれてもいない文章を書いたり、企業を訪問してみたりと、自分なりに活動はしていた。「どうやったらお金をいただける仕事が得られるのだろう?」となんの手がかりも足がかりもない状態に、それなりの不安はあったのだと思う。
3年で手に入れたもの
2022年の2月に知り合いからはじめて「プレゼン作成」の仕事をいただいた。仕事がなければ不安だけど、仕事をいただいたらいただいたで、「これでお金をいただいていいのだろうか?」「こんな金額を請求して、大丈夫だろうか?」と別の不安があらわれる。
いま考えればぜんぜん大丈夫なんだけれど、あのときは自分がどのくらい役に立てるのかも、その対価はどのくらいのものかも、なにもかもわからなかったのだ。
あのころに比べればいまは、少しはよくなっただろう。自分がどんなことで役に立てるのか、どんなことを求められるのか、体感からわかってきた部分はある。そのなかでもお金をいただきやすいものと、役には立てるけどお金はいただきにくいものがあるということもわかってきた。
その意味では、退職するときに望んでいたものは手に入れているのだろう。
どちらの苦労を選ぶのか
退職する前、「この葛藤を抱えたまま組織でうまくやっていく苦労と、個人で稼げるようになるための苦労と、どっちを選ぶ?」と自分に問いかけて、個人で稼げるようになるための苦労を選んだ。
あのとき思っていた苦労とは、質も大きさも違うかもしれないが、望んだものは手に入れている。まだまだ自分で稼いでいる感覚はないけれど、望んだ苦労は体験できている。そして、この体験ができてよかったとも思えている。
そしていま、あらたにどんな苦労を選びたいと思っているかというと、組織をつくる苦労だ。
「このままひとりで稼げるようになる苦労を続けるのと、人を雇って組織をつくる苦労、どっちを選ぶ?」と自分に問いかけて、組織をつくる苦労を選びたい自分がいる。
自分でも「本当に?」と思うけれど、そう思うようになったのは、仕事で会う社長さんたちの影響である。
会社のためではなく、社員のために新しい事業をつくっている。社員が退職するときにも、その痛みに向き合い、次はもっと社員に喜んでもらえる組織をつくろうと決意する。
こういう方々に会うたびに「かっこいいなあ」と思う。自分もそうなりたいなと、そのほうが自分は成長するだろうし、経験豊かな人生になるだろうなと、そう思う自分がいる。
当然いままで出会ったことのないような痛みに遭遇するのだろうし、その痛みに耐えられる自信はないけれど、「なんかいいよな」という憧れを持っている。
3年後の自分
3年後の自分はどうなっているだろう?
いまはただ、人を雇い、人間関係に苦労している自分を選びたくなっている自分に少し驚いています。
これはこれで3年前には考えられなかった姿です。

夕日がとても眩しかったので、夕日に照らされているものを撮りました