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【今週の気づき/222】なりたい姿になれたと思う数字

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目標設定がどうも苦手である。

売上、利益、社員数──仕事で掲げられる数字を書き並べ、「何年何月何日までに売上を◯万円にする」「社員数を◯人にする」といった決意表明らしきものを作る。しかし気持ちは乗らず、腰も重い。むしろその数字に追い立てられ苦痛すら覚える。そして「目標、目標」と言ってくる人に怒りが込み上げる。

「うるせー! お前はそれでできたのかもしれないけど、俺は動けないんだよ!」

「目標、目標うるせーんだよ!」

思えば、明確な目標を掲げた経験などほとんどない。野球部の頃も「ヒットを打ちたい」「守備をうまくなりたい」とは思っていたが、数値目標を定めて行動したわけではない。素振りや練習を続け、結果として打率三割や盗塁数がついてきただけだった。

息子の目標達成

目標について考えていて、思い出したことがある。以前、このブログにも書いたが、息子がひと夏で25m泳げるようになったことだ。プールに顔をつけることもできないときに、「泳げるようになりたい」と言い出し、最後には25m泳げるようになった。

あのときは明確に「25m」という目標を定めていた。そして、25mという目標に対して、小さなステップを作っていき、ひとつひとつをクリアしていった。あれを参考にできないかと思ったのである。

2年前の夏、なにを思ったのか息子は泳げるようになりたいと言った。そのときのやり取りは以下のようなものだった。

「へえ、急にどうした? 泳げるようになったらどんな気持ち?」

「そりゃあうれしいよ」

「どうしてうれしいと思う?」

「友達に自慢できるから」

「いいねえ、じゃあ泳げるようになったと思えるのはどのくらい泳いだとき?」

「うーん」

「じゃあたとえば、プールの端から端まで、25m泳げたら自分で泳げるようになったと思える?」

「たしかにそうだね」

「じゃあ、25mを目標に設定してみない? 絶対できるよ」

「わかった」

つまり、目標の前に、「泳げるようになった自分」というなりたい姿があり、そのなりたい姿になったと自分で思える基準が「25m」だったということである。

なりたい姿になれたと自分が思えるもの。それが目標なのだ。

なりたい姿

じゃあ、ぼくのなりたい姿とはなんだろう。思い浮かぶのは以下のようなものである。

息子の成長を支援できる人間でありたい。
周りの人たちの活躍する場を提供できる人間でありたい。
他の人の可能性をその人以上に信じられる人間でありたい。
感謝を忘れず、恩返しができる人間でありたい。

これらを「できた」と実感できる“25m”を探せば良いのだ。

それならできると思えるステップで

とはいえ、なりたい姿を思い描くというと、いまの自分からはとても遠い存在に思えることがある。

たとえばぼくは中学の頃、イチローみたいになりたいと思っていた。イチローといえばプロ野球選手のなかでもトップクラスの選手だ。中学生の自分とイチローとでは距離があり過ぎて、とても近づけそうにない。でも、プロ野球選手になれなければ、イチローみたいになれたと思えないかというと、そういうわけではない。

大切なのは、「自分がどのレベルでイチローのようになりたいのか」を明確にすることだ。
たとえば中学野球の世界で、「チームで一番出塁する」「誰よりも練習する」「欠かさないルーティンをつくる」といった、イチローらしい姿勢や行動を目指すことはできる。つまり、「なりたい姿」は必ずしも最終到達点そのものではない。

今いる場所で、イチローみたいになれていると思えればいい。たとえば少年野球で、たとえば中学野球で、あるいは草野球で。

そのいまいる場所で、イチローみたいになれたと思う具体的な数字を目指せばいいのである。

目標が苦手だと思うのはきっと、目標が大きすぎるからである。自分にはできないと思うからである。だからまずは、小さな小さなステップをつくる。「それならできる」と思えるほどの小さなステップを設定する。小さな成功を積み重ねれば、自然に次の数字が見えてくるはずである。

――次はぼくが水に顔をつける番なのだ。

桜の花がボンボンみたいになってるなと思ったら、名前もボンボン桜というらしいです。