「通過点」
という言葉がある。
ネットで検索すると、AIからの回答が以下のように出てくる。
「通過点」は、目的地や最終目標ではなく、途中の通過地点を指す言葉です。たとえば、旅の途中で立ち寄る場所や、目標達成までの過程における一段階などが該当します。
たとえばプロ野球選手が2000本安打などの累積記録に到達したとき、インタビューでよく耳にするのがこの「通過点」という言葉である。
2000本がゴールなのではない。目標はもっと先にある。プロ野球選手としての本当の目的は他のところにある。この記録はそのための一つの通過点であり、自分はさらに先を目指しているのだと。
そこには「自分はもっとできる」という自信も見え隠れしている。
通過点に向かう
最近ぼくが取り組んでいることの一つに、「ビジネス選択理論能力検定」の勉強がある。
・毎日テキストを30ページ読む(約30分)
・問題集を解く(約1時間)
・勉強会に参加する(週に1~2回、1回あたり2時間)
・テキストの内容と自分の体験を紐づけて考える
目的は、人の成長を支援できる人間になることである。そのための通過点として「合格」がある。そう考えているからこそ、堅くならずに勉強に取り組めているように感じている。
合格を目的とすると、「合格水準からの不足分」で考えてしまいがちだが、通過点と考えると「現在の自分に何を加えるか」というプラスの感覚になるのである。
軽くする
本当はやりたいのだけど、自分にとってちょっと重たく感じ、行動に移すまでに逡巡してしまうようなこと。
たとえば、尊敬する方の講演会に行ってみること。それが少し離れた県で開催されるものであり、交通費や宿泊費、時間の負担を考えると尻込みしてしまう。
たとえば、プロジェクトリーダーのような責任のある立場になってみること。挑戦したい気持ちはあっても、「自分にできるのか」と不安になり、手をあげられずにいる。
そのものに焦点を当てると、どうしても重たく感じてしまうのである。
そんなとき、「これは通過点だ」と考えてみる。「もし通過点だとしたら?」と問い直してみる。
通過点だとしたら、そこにかかる費用や時間をどのように捉えるのか。通過点だとしたら、リーダーをやってみる経験も“次に進むための一段階”と考えられるかもしれない。
少しためらっていた行動が「通過点だ」と思えたとき、不思議と軽く、前向きに行動できるようになるものなのだ。
自由を感じる言葉
かつて自分がリーダーを進んで引き受けたとき、緊張する場面に自ら飛び込んだとき、大学受験の勉強をしていたとき、それらを通過点だと思っていたなと思い返しています。目的ではなく通過点と思うから行動できる。通過点と思うからこそ、時間もお金も使えるようになる。そういうことって実はけっこう多いよなと思った次第です。
旅行の途中で立ちよるサービスエリアや道の駅って、なんだかたのしいものですよね。出店を見て回わったり、景色を眺めてみたり、車内から解放された自由な気分も相まって、ふと心が軽くなる。
いいことも、悪いことも、緊張することも、迷うことも、通過点として受け止めて、かるーく生きたいものです。
長い人生の中で考えたら、たいていのことは、ほんの通過点にすぎないのだから。

白いツツジが咲いていました。