これは個人的に、ということなんだけど。
最近「引き受ける」ということばをよく耳にする。仕事を引き受ける、責任を引き受ける、役割を引き受ける、というふうに。
もちろん、形として引き受けるということはある。しかし一方で、同じ仕事をしていても「この人引き受けているな」と感じる人もいれば、「この人は引き受けていないな」と感じる人もいる。
この違いはなんだろうか。引き受けている人とは、なにを引き受けているのだろうか。今日はこのような気づきを書いていきますね。
引き受けるとは
ひとつ、ぼくのなかで出た答えは、「引き受けている人は、”自分を”引き受けている」のである。
引き受けているのは仕事そのものではない。責任でも、リーダーなどの役割でもない。ましてや、他人の課題や人生でもない。引き受けている人は、つきつめれば、「自分」を引き受けているのである。
なにかをやるとき、必ずしもいいことばかりが起こるわけではない。仕事は思うように進まないことが多いし、リーダーになったら人間関係で悩むことだってある。責任を取らなければいけないこともあるかもしれない。仕事でもプライベートも、望む結果にならないこともある。
そうしたときに、引き受けている人は、そのときに自分が感じていること、生まれる感情、あるいは身体的な生理反応。こういう自分のなかで湧き起こることを拒まずに、自分のものとして引き受けているのである。
うまくいかない。そのときに起こる怒りを引き受ける。失敗した。そのときに起こるであろう落胆を引き受ける。人とぶつかる。そのときに起こる悲しみを引き受ける。
未来に起こるであろう、予期していないこと、望まないこと。それらが起こったときに自分のなかで生まれる感情までを、引き受けているのである。
引き受けている人と引き受けていない人の違い。それは自分の感情を自分のものとして、引き受けているかどうかである。
引き受けるとは、自分のなかに生まれるものを、自分のものとして引き受けることなのだ。
AIを引き受ける
最近、AIくんと協力して自分の新サービスのLP(ランディングページ)をつくっております。AIのおかげで自分では到底できないようなLPをつくれておりますが、AIにイライラしている自分もいます。
たとえば、お客さんがフォームを入力したときに、お客さんへの自動返信メールと、自分宛の通知メールが送信されるようにする設定がなかなかうまくいかず、気づけば深夜です。作業が思うように進まず、「お前がわるい!」とAIにプリプリとしております。
新しいことを始めたら、最初からうまくいくことはない。AIにはわかってもらえないこともある。
でも、そうして湧き起こる怒りや焦りも自分の感情。これを自分のものとして引き受けていけるように、精進します。

あじさいがきれいに咲いていました。
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48時間以内に光学的な「実現性の検証」を納品するサービスです。料金は一律15万円。価格と納期が決まっているサービスです。