今週の気づき PR

【今週の気づき/229】勉強したいのではない。得たいものを得たいのだ。

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受験、というのはわかりやすいニーズだよなと思う。

大人だって子どもだって、勉強したほうがいいことはきっとわかっている。英語が話せれば海外に行きやすくなるし、数学ができれば仕事の幅が広がる。歴史を学べば、ものごとのパターンだって見えやすくなるはずだ。わかっちゃいるものの気が進まない。やったほうがいいと思っていても腰が重たい。これが実際のところだろう。

しかし、「受験」となれば勉強をする。来年高校に受かるために、大学に合格するために、あるいは資格を取るために、人は机に向かう。期日が決まっているからこそ勉強の優先順位が自然とあがる。楽しいかどうか、気が乗るかどうかに関係なく、「やらなければいけないこと」として常に頭の中を占めるものになる。

だから受験生は塾や予備校に通うし、いまでは勉強アプリや学習系のYouTubeも見るのだろう。

「勉強会」という目的の曖昧さ

今週、クライアント先の営業さんたちに向けて技術的な勉強会を開催した。4月後半に実施した初回に続き、今回で2回目である。大変好評だった初回とは異なり、今回はあまりうまくいかなかった。情報を盛り込みすぎたし、盛り上がりにも欠けた。端的に言えば失敗である。

ぼくはよく、「相手は勉強したいと思っている」と勘違いしてしまう。だからこそ、「わかった!」「そうだったのか!」「そう考えればいいのか!」という小さな感動を届けたくなってしまう。相手が「勉強したい」と思っていると思うから、教えたくなってしまうのだ。

でも、本当はそうではない。人は単に勉強したいわけではないのである。

受験に合格したいのであり、海外で人と話したいのであり、設計ができるようになりたいのであり、おもしろさを味わいたいのである。人は、その「なりたい姿」のために勉強という手段を取っているのである。そして、できれば自らの気づきを通じて、その状態に到達したいと思っているのである。

今回、うまくいかなかった最大の要因は、相手の「どうなりたいか」という仮説が外れていたことだろう。それが外れていれば、その勉強会はあまり意味のないものになってしまうのだ。

まずは「訊くこと」から

こうした気づきも、自らやっていくからこそわかるものですよね。やってみて、学んで、よりよくしていく。この繰り返しです。

「勉強会」という言葉は便利ではあるけれど、「どうなりたいか」という目的が置き去りになりがちなので、気をつけたいものです。

「わかった!」という小さな感動を届けるためにも、まずは、いまの困りごと、そしてそれを解決することで「どうなっていきたいのか」、これを訊く機会をつくっていきたいと思います。

初めて田植えを体験しました。育ったお米を食べられるとうれしい。