高校生の頃から社会人数年になるまで実家では犬を飼っていた。
ウェルシュ・コーギーのオスで、散歩が大好きな子である。「さんぽ」という単語を聞こうものなら喜び勇んで玄関に走っていき、まだかまだかと玄関をぐるぐるし、リードを早くつけろとせがんでくる。外に出ると風に鼻先を向け、地面の匂いを嗅ぎ、最初の長いおしっこをする。走るのも好きで、こちらがちんたら歩いていると「今日は走らないんですか?」と言いたげに「ハッハッハ」口を開けながらこちらを見つめてくる。
犬はなんであんなに散歩が好きなのだろう。
動物はもっと効率的に生きているのではないか。ライオンでもキリンでも、鹿やイノシシであっても、大人の動物は無駄なことはしない。お腹が空いたら食べ物を探し、満腹であればひたすら寝る。無駄なエネルギーは使わずに、生きること、子孫を残すこと、死なないことに集中しているような気さえしてくる。
一方で犬について考えてみると、散歩は無駄なエネルギーを使いまくりである。おしっこをして、うんちをしたら、「もう家に帰ろう」とはならない。こちらが帰ろうとしなければ、いつまでも散歩をしてるのではないかと思えるくらい、外にいたがっている。
家の外に出ること
最近は家の中だけで完結することが増えた。
仕事はリモートでできるし、冷凍宅配便を頼めば食材の買い物に行くこともなく家で食事がとれる。ネット環境があれば誰かと連絡も取れるし、世の中の情報にも触れられる。気がつけば1日どころか2日、3日と家から出ていないこともある。
ごみ捨てのために外に出たときに空気の温度を肌で感じて、「ああ、おれは家を出ていなかったのか」と思うこともある。外の空気は気持ちいい。やっぱり外はいいなと思う。しかしまたすぐに家に戻る自分がいる。やらなきゃいけない仕事もあるし、読みたい本もある。したい勉強もある。これらを置いて外に出るには、外に出るための何かしらの理由が必要なのだ。
小さな一歩目
最近、「やりたいことリスト」を1日2つ書くようにしている。そのなかで最初に出てきた2つは以下である。
1. 自分の事業をつくり、その事業で喜ぶ人がいて、一緒に働く人がいる
2. 後輩の育成に携わり、その人の目標達成を手伝う
どちらも今すぐやらなくても生きてはいける。事業をつくらなくても困らないし、なにか強烈な理由がないとできない気もしてくる。
それに事業をつくるなんて、自分にできるとは今のところ思えないし、自分とは距離のある言葉だとも思う。
ただ、それでもやりたい気持ちは確かにある。
事業をつくるのに理由は必要なのか。
本当は、目的地や理由は必要なくて、散歩に行きたがるのと同じ気持ちだけでいいのではないだろうか。
大きすぎる目標に向かうための一歩とは、ただ家を出るという小さな行動なのかもしれないと、昔の飼い犬を思い出しながら思ったのだ。

