自分の仕事がAIに置き換わる。その現実は、もう目の前にきている。今週、それを実感した。

今週は、ClaudeCodeとGeminiと一緒に、光学設計作業の一部を自動化するプログラムをつくった。具体的にいうと、設計した複数のレンズを市販のカタログレンズに置き換え、その中から最適な組み合わせを自動で検証し、もっともよいものを示すというものだ。

これまでは、この作業をすべて手でやっていた。時間にして1~2時間ほど。ネットでカタログ品の情報を眺めながら、それを手作業で入力する。そこからさらに、最適な組み合わせを自分で見つけなければいけない。ミスが生じる可能性もあるし、なにより単なる「作業」になりがちな工程だ。

それをどうにか自動化できないかと考え、ClaudeCodeと一緒にプログラムをつくった。結果、わずか1週間ほどでできてしまった。作業時間は約90%削減され、ミスもでない。自分の仕事がAIによって置き換わった瞬間である。それをソフトウェアにして配布できる状態にもできた。

いままでだったら素直に喜べただろう。作業時間がなくなり、ミスを確認する必要もない。とても楽になった。いままでつくれなかったソフトウェアをつくれたし、新しいことができた喜びもある。

しかし、手放しには喜べていない自分もいる。このままいくと、自分がやっているすべての設計業務はAIやプログラムに置き換わる。そのことを容易に想像できるからである。

2年後はどうなっているのだろう。誰と、どこで、どんな働き方をしているのだろう。

最近はネットを見ていて、目に入る動画や画像がAI生成だとわかると、「なんだ、AIか」と思ってしまう自分がいる。ぼくは「人が時間をかけてつくったもの」に価値を感じているのかもしれない。

自分がなにに時間をつかうのか。どんなことをしていくのか。

少なくとも、自分が時間をかけたものには価値があると信じたいものである。