「植物が思うように育たないからといって、茎を引っぱる人はいないと思う。引っ張ったら茎が千切れたり、根から抜けてしまうことがわかるから。人材育成についても同じように考えてほしい」

これは前職の社長が、事業部長時代に社内メッセージとして綴った言葉だ。

ぼくはいま、関わっている企業の人材育成にも携わらせてもらっている。しかし、育成に関わるほどに「思うように育たない」という場面に直面する。それは相手の問題ではない。自分が新人のころを忘れて「このくらいはできるだろう」「これは言ったからできるようになっていてほしい」と、勝手に期待値が大きくなってしまっているからだ。

そして、この期待とのギャップから、つい「茎を引っ張りたくなる」自分が出てしまう。

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過去の自分を振り返ってみると、「育ててもらった」と感じることはある。あの上司に、あの先輩に、あの先生に、育ててもらったと思う人はいる。

一方で、自分は「育成された」のかというと、それは少し違う気がする。「育ててもらった」とは思うけれど、なぜか「育成してもらった」とは思わない自分がたしかにいるのだ。

では、なにをしてもらったのか。どんな関わりをしてもらったのか。

ある上司は、目の前の業務に自分の適性を見いだせていないぼくに対して「ずっとこの業務をやってもらおうとは思っていない。この業務を通じて、この分野全体を考えられるようになってほしい」と言ってくれた。その言葉を聞いてすごく安心したのを覚えている。同時に、自分の未来を考えてくれているのだとうれしく思った。そこから先は、自分が学びたいことは上司に申請し、自分で研修へ足を運ぶようになった。

ある先輩は、「おれはこれから英語を勉強するから、お前もやろう」と誘ってくれた。その先輩につられて、通学の電車内では英単語帳『DUO』の音声を聞き込み、ぼくの英語レベルはその頃にあがった。ちなみに、その先輩はTOEICで980点を取っていた。

ぼくがしてもらっていたのは、いわゆる「育成」ではない。無理やりなにかをやらされたわけでも、理解させられたわけでもない。

ぼくがしてもらっていたのは、「成長の支援」である。成長の方向を言葉にしてもらい、その成長に向けて自ら動ける環境を整えてもらっていた。それを自分は「育ててもらった」と捉えている。

「人材育成」という言葉に惑わされてしまいがちだけれど、本当は人が人を「育成する」ことなんてできないのかもしれない。できるのは、育つ環境を整えること。その人がその人らしく育つための支援をすることだけである。

自分がしていただいたことをふり返りつつ、「育成」ではなく「支援」のあり方について、改めて考えていました。