【今週の気づき/269】引越し前日に思うこと
いよいよ引越しが明日に迫った。
このアパートには2008年の6月から住んでいるから、まるまる18年暮らしたことになる。部屋から見える景色、アパートの外に広がる松本の風景。あまりにも当たり前になっていたものが、明後日からは見られなくなる。そう考えると、なにか取り返しのつかないことをしてしまったような、大げさな気持ちにもなる。
朝起きてカーテンを開けたときの眩しさ。窓を開けると聞こえてくる、カエルの「ケッケッケッ」という鳴き声。遠くで鳴くカッコーの響く声。雨上がりには、木々一本一本が見えるほどくっきりとした山の緑と空の青。マンションと山とが重なる景色。
行きつけの美容院。行きつけのカフェ。行きつけの定食屋さん。よく歩いた道。なにかと足を運んだイオンモール。
これらすべてが「懐かしい思い出」に変わるのだと想像するだけで、胸の奥に込み上げるものがある。
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ぼくは昔から、卒業というものが苦手だ。小学校、中学校、高校、大学。
卒業とは、いつも通っていた場所に行けなくなり、いつも会って話していた友人とも会えなくなることだ。いつもの教室にも、もう入れなくなる。
いつもの場所、いつもの人、いつもの景色。
「いつものもの」が、「いつも」ではなくなること。
一方で、周りは少しずつ変化しているし、人は成長し、老いていく。もちろん自分も、10年前や20年前とは変わっている。いつも通りだと思っていても、本当は「いつも通りのもの」なんて存在しない。頭では理解できても、心や体は追いつかない部分なのだと思う。
無くなるもの、失うものにフォーカスすると、どうしてもセンチメンタルな気持ちになる。けれど、人生という単位で考えれば、「懐かしい」と思えるものが増えることは、きっと豊かなことなのだとも思う。懐かしさを感じるとき、そこにあるのは否定的な感情よりも、どこか肯定的な感情だ。あの頃の充実、あの頃の未熟さ、あの頃のがんばり、あの頃の葛藤、あの頃の人間関係。懐かしさとは、たしかに自分がそこにいて、精一杯生きていた証なのかもしれない。
東京に越したとあとは、東京での「懐かしさ」に触れられるような時間を、少しずつつくっていきたいと思う。

