先週の『ブラタモリ』は、熊本城の復興についての特集だった。

熊本地震から10年。熊本城はまだ復興の途中である。天守や回廊のような建物はもちろん、石垣も一つひとつ組み直していく必要がある。

石垣職人を育成しながらの復興作業になるため、完了までには今後さらに30年はかかるという。

30年。

ひとつの仕事に30年携わるということは、定年までずっとその仕事を続けるようなものである。一生を熊本城に捧げると言ってもいい。「そりゃえらいことだ」と思う一方で、「30年は食いっぱぐれないな」なんて考えもよぎる。

自分が「食いっぱぐれない」なんて考えるのはきっと、昨今のAIの進化が頭にあるからだろう。

自分の仕事、とくに光学設計に関する仕事はもう数年でAIに置き換わるのだろうと思っている。もちろん、それで自分の仕事がすべてなくなるとは思っていないが、どこかしらやはり危機感のようなものは持っていたのだろう。

人間の仕事が無くなるのかどうかの議論は置いといて、人間がおのれの技術を高めていくことには変わりないだろうとは思う。

スポーツのような技術。計算を素早くする技術。問題や課題に対して回答を示す技術。料理をする技術。石垣を組み上げる技術。

時代により世の中から求められる技術は移り変わるのだろうけれど、人間が何かしらの技術を磨き、高めていくことはこの先もずっと続いていくはずだ。

その技術のひとつに「愛する技術」があると思っている。

思想家のエーリッヒ・フロムも、愛は技術だと言っている。技術であるからには高めることができるのだ。

先日、息子と自転車での帰り道。ふざけてこんな話を振ってみた。

「いきなりなんだけどさ、彼女できた?」
「できてねーよ!」
「あれ、前の彼女とは別れたんだっけ?」
「付き合ったことねーよ!それどころか童貞だわ!」

息子とこういう会話ができることが、とてもうれしい。

この先どんな反抗期が来てもいいように、愛する技術を高めていきたい。