【今週の気づき/273】行動が変わるとき
家の近くにタイ料理屋さんがある。
お昼はわりと混んでいるが、夕方は空いている。以前、夕方に行ったときには自分以外にお客さんがひと組だけだった。
雑居ビルの地下1階という立地のせいだろうか。初めて訪れたときには、Googleマップを睨みながら「本当にここでいいのだろうか?」と、ビルに足を踏み入れるのに少し勇気が必要だった。地下まで降りて店に入ってしまえば安心できる、おいしくて値段もお手頃な穴場なお店である。
今週の平日のある夕方、またそのタイ料理屋さんを訪れ、前回食べておいしかった海老チャーハンを大盛りで注文した。
ぼくは食事中によく水を飲む。料理が出てくるまでのあいだも、ご飯を食べながらも、何度も口にする。水がなくなりかけると、20代くらいの好青年のウェイターさん(たぶんタイの方)が、「お水どうぞー」とお水を注いでくれる。毎回笑顔だ。こちらも笑顔で「ありがとうございます」と応じる。
食べ終わって、少しゆっくりと水を飲む。店内には自分ひとり。壁にはおすすめのメニューがいくつか貼り出されている。冷房の涼しい風が半袖の腕に当たる。そこにまたウェイターさんが、「お水どうぞー」と笑顔で本日4回目のお水を注いでくれた。
ぼくは「ありがとうございます」と言いつつ、「あのロイティーをひとつください」と壁を指差して、タイのデザートを注文した。もう帰ろうかなと思っていたのに、つい。思っていることと、口から出た言葉のギャップに、自分でも驚いたくらいだ。
夕食なのにお酒も飲まずに料理(海老チャーハン)だけというちょっとした罪悪感。
店員さんの親しみのある笑顔。
目の前にあった「頼んでもいいかな」と思える商品。
それらが相まったのだろう。もしかしたら、厚かましくも応援の気持ちもあったのかもしれない。
ただ、あのタイミングでウェイターさんが水を注いでくれなかったら、注文はしていないとはっきりと言える。
さらに言えば、ウェイターさんがそれまで何度も水を注いでくれた積み重ねがなかったら、自分の行動は生まれなかったかもしれない。
人が動くときは一瞬である。
しかし、その一瞬の背景には、誰かの関わりの積み重ねがあり、最後にタイミングのよい一押しがある。そんなことを、自分自身を振り返りながら思った。

