家の近くにタイ料理屋さんがある。

お昼はわりと混んでいるが、夕方は空いている。以前、夕方に行ったときには自分以外にお客さんがひと組だけだった。

雑居ビルの地下1階という立地のせいだろうか。初めて訪れたときには、Googleマップを睨みながら「本当にここでいいのだろうか?」と、ビルに足を踏み入れるのに少し勇気が必要だった。地下まで降りて店に入ってしまえば安心できる、おいしくて値段もお手頃な穴場なお店である。

今週の平日のある夕方、またそのタイ料理屋さんを訪れ、前回食べておいしかった海老チャーハンを大盛りで注文した。

ぼくは食事中によく水を飲む。料理が出てくるまでのあいだも、ご飯を食べながらも、何度も口にする。水がなくなりかけると、20代くらいの好青年のウェイターさん(たぶんタイの方)が、「お水どうぞー」とお水を注いでくれる。毎回笑顔だ。こちらも笑顔で「ありがとうございます」と応じる。

食べ終わって、少しゆっくりと水を飲む。店内には自分ひとり。壁にはおすすめのメニューがいくつか貼り出されている。冷房の涼しい風が半袖の腕に当たる。そこにまたウェイターさんが、「お水どうぞー」と笑顔で本日4回目のお水を注いでくれた。

ぼくは「ありがとうございます」と言いつつ、「あのロイティーをひとつください」と壁を指差して、タイのデザートを注文した。もう帰ろうかなと思っていたのに、つい。思っていることと、口から出た言葉のギャップに、自分でも驚いたくらいだ。

夕食なのにお酒も飲まずに料理(海老チャーハン)だけというちょっとした罪悪感。

店員さんの親しみのある笑顔。

目の前にあった「頼んでもいいかな」と思える商品。

それらが相まったのだろう。もしかしたら、厚かましくも応援の気持ちもあったのかもしれない。

ただ、あのタイミングでウェイターさんが水を注いでくれなかったら、注文はしていないとはっきりと言える。

さらに言えば、ウェイターさんがそれまで何度も水を注いでくれた積み重ねがなかったら、自分の行動は生まれなかったかもしれない。

人が動くときは一瞬である。

しかし、その一瞬の背景には、誰かの関わりの積み重ねがあり、最後にタイミングのよい一押しがある。そんなことを、自分自身を振り返りながら思った。