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【今週の気づき/213】後悔しない人生とは

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父が亡くなって1年が過ぎた。

父が生きてた頃は、父との思い出を振り返ることなんてほとんどなかったのに、この1年はなにかと父のことを思い出す。父が亡くなっても、ぼくの生活はほとんど変わっていないのに不思議なものだ。

息子の怪我

今年のお正月、息子が足を怪我した。

家のなかで従兄弟とサッカーをしていて、誤って柱を蹴ってしまったらしい。左足の小指と薬指付近が痛いという。 息子は痛みを大げさに言うところがあって、そのときのぼくは「たいしたことないだろう」と決めつけていた。特に青くもなっていないし、大きく腫れているわけでもない。30分もすれば痛みなんて忘れて走り回っているだろうと思ったのだ。

ところが、息子は「痛い」と大きな声を上げ続けている。そんな息子にぼくは、「あんなふうに大きな声で痛がるのはかっこ悪い」と言ってしまった。息子は「かっこ悪くたっていいじゃないか」と泣いて抗議してきた。

息子は1日中足を引きずっていた。本当に痛かったのだ。もしかしたら足の指の骨にヒビが入っていたのかもしれない。あのとき、痛みを信じてあげなかったことも、自分の発言も、どちらも後悔している。

父ならきっと違う対応をしたはずだ。

父との思い出

父は子どもの怪我に対していつも大げさな反応をする人だった。

カッターなどで少しでも指を切ろうものなら、指を切り落としたんじゃないかと思うほどの剣幕で飛んできた。怪我の度合いと対応の度合いがまるで釣り合っていなくて、子どもながらに「大げさだよ」と思っていた。

その父を面白がってぼくがわざと「痛っ!」と叫んでみると、やっぱり父は血相を変えて飛んできた。たいしたことないとわかると安心したような顔をする。騙されたとわかっても怒らない。その後も大げさなくらい真面目に飛んできてくれた。

それが父なりの「後悔のない生き方」だったのかもしれない。最悪を想定して対応し、大したことじゃなければそれでいい。騙されたとしてもそれでいい。最悪を想定せずに何かあったとしたら、子どもを疑って子どもが傷ついたりしたら、後悔するのはきっと父自身なのだ。

後悔しない人生とは

最近、母のすすめで「DIE WITH ZERO」という本を読んだ。

その本には、「仕事をしすぎて後悔する人は多いが、子育てをしすぎて後悔する人はいない」というようなことが書いてあった。

教員だった父は、よく夕方の職員会議には出席せずに帰っていたという。また、職場の飲み会にも参加費だけ払って実際の飲み会には参加せずに家に帰っていたのだそうだ。会議よりも飲み会よりも大切なことを優先できる人だったのだろう。父は、後悔しない生き方を知っていたように思う。

父にも後悔することなどあったのだろうか。

どうすれば後悔せずに生きられるだろう。

(この写真はコロナで外出自粛のなか、家族ではじめてZoomしたとき。父はうれしそうだ)

父はただ、愛したいものを愛していただけなのかもしれない。

ぼくも父のように、愛したいものを愛する人生をおくりたいと思う。

長野県に雪が降りました。