生い立ち

ここでは僕の生い立ちについて、少し振り返りつつ書いてみようと思います。

幼少~小学生

1982年に3人兄弟の末っ子として生まれました。兄は7個上と5個上。年が離れていますが、きっと良くかわいがってくれたと思います。

兄二人にコーディネートされて満足そうな著者

小学校5年になると、ずっと好きだった野球をやりたいと両親に伝えます。当時は小学校の同級生も野球クラブに入っている子が何人かいて、その話を聞いて羨ましいと思っていました。両親にも聞き入れてもらえ、野球を始めることになります。そして野球はこの先もずっと続けることになります。

中学~高校

中学は地元の公立校に進学したため、高校受験が初めての受験となりました。学校の成績は中の上くらいだったので、勉強に苦手意識はなかったものの、受験という一発勝負のための勉強がとても嫌でした。毎日憂鬱に過ごしていた僕に、2番目の兄が、「高校に入ったら勉強しなくていいんだから今頑張れ」と声をかけてくれました。

この言葉を信じて何とか乗り切り、都立の高校に無事受かりました。高校に入ってからというもの、兄の「高校に入ったら勉強しなくていい」という言葉を信じ込み、全く勉強をしなくなりました。入学してすぐ成績はクラスで最下位争いすることになります。そしてこの状態は高校を卒業するまで続きました。今思えば高校入って勉強しなくていいわけないのですが、決めたことはやり通す頑固な性格なんですよね。

その代わり高校では部活(野球)を頑張っていました。1年の秋からはレギュラーで出してもらい、高校は部活のためだけに通っていた感じです。高校の3年間は濃いものでした。部活でできた仲間はまだ連絡を取ることもあるし、たまに飲みに行ったりもします。

高校最後の大会

浪人~大学

高校の部活も終わり、何もすることがなくなったとき、大学には行っておいたほうがいいなと漠然と思っていました。しかし高校で全くと言っていいほど勉強をしていなかったので、当然どこの大学にも受からず、浪人することになります。この浪人時代では高校の勉強を一からやり直しました。予備校と個人塾の2つに通いました。これまで勉強していなかった反動があったのか、徐々に理解していく過程が楽しかったです。そして無事に理系の大学に受かります。大学では物理を学ぶことになります。

大学で初めて一人暮らしを始め、生活はとにかくダラけました。大学の同級生とご飯を食べに行ってその後は家で遊んぶ、ただただ一人で特に何をするでもなく過ごす。何かを達成したわけではないですが、これはこれで良い時間でした。

大学生活の後半、就職か進学かを選択する際、就職している姿を全くイメージできなくて大学院に進学することにします。浪人時代に受験によって成長できたという体験から、受験をして国立の大学院を目指すことにしました。大学院も無事合格し、進学することになります。

大学院

大学院ではとにかく楽しかった思い出しかないくらい楽しかった。なによりも自由でした。研究さえすれば何時に行ってもいいし、何時に帰ってもいい。曜日も関係ない。研究室に泊まることもできる。そして尊敬する先輩もいる。とても心地よかったです。今思えばこれが理想の働き方かもしれない。

大学院の卒業式 尊敬する先輩と

就職

大学院卒業後、長野県にあるメーカーに新卒で入社しました。配属されたのは開発部門です。会社に入ると原理原則から考えるという物理の考え方が役に立ちました。理論から計算式を導き出したり、計測結果の意味を読み取って視覚化するなどの仕事を行います。

入社から7年くらいたつと仕事の自由度が上がってきます。このころは自分の提案した技術を開発したり、自分が一から作ったものが製品に搭載されたりと、とても充実していました。技術者としては、この頃が一番楽しかったかもしれません。

会社員以外の生き方を模索

2018年(入社10年目)頃からプロジェクトのリーダーを任せてもらえるようになりますが、資料作成や社内調整業務に面白みを感じられず、そしてリーダーに向いていないことを痛感します。この頃から会社員以外の生き方を模索し始め、2019年から会社への依存度を下げるために社外での活動を行っていくことになります。

以上、生い立ちでした。お読みいただきありがとうございます。
2019年からの活動についてはまた別の機会で。