このコラムについて
小さなビジネス開業スクール(BFS)。この場所で生まれたビジネスを紹介します。どんな人が開業したのか、なぜその事業が生まれたのか、これらを大谷信の目線で紐解き、得た学びを書き記していきます。あなたのビジネスにもきっと役に立つ、そんなコラムです。
「当たり前のことを、当たり前にやっているだけなんです」
そう話すのは株式会社フジモトの代表、藤原裕士さん。㈱フジモトは岡山県で残土処理を主とした事業をする会社で、2006年に藤原さんが社長に就任して以降16期連続で黒字を達成し、特に直近3年は増収増益の好調ぶりだ。
地元住民からの信頼も厚い。残土処理という、近隣住民から嫌われてもおかしくない業種でありながら、住民からは「フジモトさんには、1年でも長く事業を続けて欲しい」と言われるほど欠かせない存在になっている。さらに現在は、「紹介で仕事が依頼される仕組み」ができあがっており、50年先を見据えた経営に取り組んでいるそうだ。
そんな藤原さんに、事業成功の秘訣をお聞きしたときに返ってきたのが冒頭の言葉だ。
「当たり前のことを、当たり前にやっているだけなんです」
「特別なことはなにもしていません。なぜこんなにうまくいったのかわからないんですよ」
そう言うのだ。藤原さんにとっての当たり前とはなにか。なぜ事業が順調に伸びているのか。事業成功の秘密と、藤原さんが新しくはじめる『50年倶楽部』との関係について紐解いた。
残土処理事業
残土処理とは
残土とは、建設工事や土木工事などで建設副産物として発生する土砂のことだ。ビル、病院、学校などの建造物。道路、ガスや水道等、インフラ設備。これらを建設する際、基礎工事として地面を掘削する。このときに発生するのが残土だ。最近では、掘削した土を、一度資材置き場などに保管し、再利用できる土は他の工事に流用するようになったが、それでも余る土は出る。その余った土を山に運び、適切に処理するのが残土処理事業だ。
また、川から出る残土もある。雨により川に流れ出した土が積もると、川の流れが悪くなり、大雨のときに河川災害に繋がることもある。川の流れを良くするために溜まった土を取り除く必要があるが、この取り除かれた土も、残土として処理しなければならない。つまり、残土処理は、快適で安全な街づくりの一部なのである。
残土処理の課題
一方で残土処理には課題がある。それは残土を処理するための法律がないことだ。残土は国の基準では資源であり、産業廃棄物という扱いではないため、残土処理に関する法律がつくられていない。だから、現状は他の法律に基づいて処理をしなければならない。山で残土を扱うには森林法、平地では農地法や宅地造成等規制法などだ。また、自治体で定めた条例で規制しているところもある。
しかし、これらの法律や条例は違反しても罰則がなかったり、たとえ罰則があったとしても100万円程度の罰金ですんだりと罰則が軽い。そのため、残土の山林への投棄、防災設備を設けない処理、宅地造成と偽った残土の投棄など、無法地帯となっているのが現状だ。不正に投棄された残土が、大雨で崩落するケース、土砂災害となる事例もあり、近年社会問題となっている。
50年先を見据えた経営
ルールの中で利益を出す
不正に残土処理をする業者がいるなか、藤原さんは森林法の下、岡山県から許可を得て、許可どおりに事業をしている。ルールを守り、その中で利益が出る仕組みを作っているのだ。
開発許可を取得した山を掘削し、そこの良質な土を販売する。土を粒度で分類し、造成工事用、グラウンド用、校庭用などとして利用するためだ。そして、建設工事や土木工事で出た残土を引き取り、残土を掘削した場所に決められたやり方で適切に処理する。2つのキャッシュポイントを持ち、利益を生み出す仕組みだ。
また、㈱フジモトの所有する残土処理場は、他にはない面積規模で、岡山の中心地から比較的近い場所にあるのも特徴だ。大規模建設工事にも一社で対応でき、搬出業者の運搬コストも抑えられる。規模と立地も㈱フジモトの強みだ。
藤原さんの想い
快適で安全な街づくりに必要な残土処理事業であるが、ときに「土捨て場」と呼ばれることもあるそうだ。藤原さんはその名前を変えたいと話す。
「我々は、自然のものを、自然の中に適切に安全に置き換えているんです。決して捨てているわけではないんですよ」
必要な土を必要なところに届け、利用できない土を回収し、山で安全に処理する。地元住民と搬出業者が安心できる現場環境を整え、長期で持続する安定した事業となる仕組みをつくる。安全・安心・安定を元に、残土処理のイメージを変えたいという。
50年先を見据える
「50年先も残る仕組みをつくる」
これが、残土処理のイメージを変えるために、藤原さんがたどり着いた経営理念だ。50年後に正しいとされる仕事をするために、50年後に残っている事業をするために、50年後から逆算して今できることをする。
「経営していれば、迷うことも、恐怖を抱くこともある。それでも、50年先から見れば大抵のことは小事に感じて乗り越えやすい」
50年後を見据えるから、正しい選択ができるというのだ。
調整池
その藤原さんの理念を体現しているのが、残土処理場でひときわ目立つ調整池と呼ばれる防災用の設備だ。この調整池は、湧き水や雨水が下流域の川に一気に流れるのを防ぐ役割をしており、池に水をためることで、流れ出る水の量を調整している。大雨のときに土砂災害、洪水災害が起こらないように、建設されたものだ。100年に1度の大雨でも耐えられる設計になっているという。
「こんな大掛かりな調整池、残土処理事業で作っているところは他にないと思います」
と藤原さんは話す。
信用がつくるブルーオーシャン
藤原さんの仕事への姿勢が、住民を動かしたエピソードがある。
2015年のこと。新しい残土処理場を開発するために、開発予定地の周辺住民に説明会を行った。住民が集まった会場は、敵地に乗り込んだような雰囲気だった。説明し始めた途端から反対の声が上がる。説明しようとしても聞く耳を持ってもらえず、話し合いにすらならなかったという。すべての周辺住民が納得するまで開発を進めないと考えていた藤原さんは、51軒すべてから賛成してもらえるのに20年はかかると覚悟し、他の開発候補地を探し始めた。
しかし、である。予想に反して説明会からわずか4年後、51軒すべてが、反対から賛成に変わったのだという。その間、追加の説明会を開くこともなければ、1軒ずつ説得に回ることもしていない。つまり、何もしていないのに、全軒が反対から賛成に意見が変わったという。いったい何が起こったのか。
それは、2018年の西日本集中豪雨がきっかけだった。地元住民から開発を反対されていた山の一部が、大雨により崩壊した。幸いにも被害はなかったが、危険を感じた住民から藤原さんに相談が来たという。藤原さんは住民と役所の間に入り、安全対策の交渉をした。役所との交渉の進捗を都度住民に報告していたところ、住民のひとりが調整池のことを思い出し、調整池が防災になるのではという話が出た。そして、防災のためにも残土処理場をつくったほうが良いのだと、住民が住民を説得し始めたのだ。
また、既存処理場近くの住民の話も、反対を賛成に変えるきっかけとなった。新規処理場の住民が、既存処理場の住民から藤原さんに関する話を聞き、当初持っていたイメージが大きく変わったのだという。
「自分は町内会の一員だと思っています」と藤原さんは話す。それは「地元住民に迷惑をかけない」という理念を持つ先代から、受け継いだ考えでもある。「道路が汚れている」「汚い水が流れてくる」などのクレームは、創業以来1度もない。地域の大規模な草刈りにも参加し、草刈り後は地元の人たちと集まり、話をする。できるだけ顔を合わせ、何でも言ってもらえる関係をつくっている。地元住民からは、「1年でも長く、事業を続けて欲しい」と声をかけられたこともあるそうだ。
こうした藤原さんの人や環境への丁寧さが開発予定地周辺の住民を動かし、全員賛成という結果を導いたのだ。
今後は残土処理の法整備も進められ、不正な処理は是正されていくだろう。この流れは藤原さんにとって追い風だ。また、地元住民の理解が得られなければ開発を進められない、という事業の特性も藤原さんを後押しする。
「当たり前のことを、当たり前にやる」
その藤原さんの姿が信用を築き上げ、信用がブルーオーシャンを作っているのだ。
50年倶楽部
そんな藤原さんが、新しい取り組みを始める。それが「50年倶楽部」だ。50年倶楽部とは、藤原さんのつくるお好み焼きを食べながら、50年後を見据えたビジネスについて語らう集まりだ。
藤原さんは、自分でも「お好み焼き研究家」と名乗るほどのお好み焼きフェチだ。自宅に特注鉄板を持ち、これまで食べ歩いて美味しかったお好み焼きの味を、食卓で再現する。食材も現地から取り寄せるほどのこだわりようだ。
「お好み焼きと経営には共通点が多いんですよ」
という藤原さんと、お好み焼きを食べながら、50年経営について語り合うのだ。
近視眼的になってしまいがちな視点を、長期視点に戻してくれる空間。自分はなにを大切にしたいのか、長い期間をかけて成し遂げたい役割はなんなのか、自分の中にある想いを再確認させてくれる時間。これらを体で感じ、お好み焼きと一緒に体内に取り込む場。
来月の売上、今年の業績など、目先の利益や儲けを追いかけてしまいがちな現代だからこそ、経営者が原点に立ち戻れる時間と空間があってもいい。
50年先を見据えている経営者と、同じ空間の中で、同じお好み焼きを食す。50年後に正しいと言われる仕事、50年後に残る事業をするために。50年倶楽部とは、そんな志を持った経営者たちが集う場所なのだ。