今週の気づき PR

【今週の気づき】なくてはならないもの

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「なくてはならない会社になる」

これは僕が勤めている会社の前社長がしきりに言っていた言葉である。ことあるごとに言っていたので耳にタコができるくらいに聞いた。耳にタコ、略してMTである。
そんなMTである「なくてはならない会社」とはどんな会社だろうか。なくてはならないということは、無くなったら困るということか。無くなったら困る会社はあるのだろうか。そんなことを定食屋へ向かう道すがら考えてみた。

なくてはならない会社とは

家を出て徒歩で定食屋に向かう。まず目に入るのは車である。僕にとって車はなくてはならないものだ。通勤に使うし、買い物にも使う。なくてはならない移動手段である。

では、その車を作っている会社はどうか。意識して見てみると色々なメーカーの車が目に入る。
日産、トヨタ、ホンダ、マツダ、スズキ。
この中で無くなったら困る会社はあるのだろうか。

「ない」というのが僕の答えだった。

どのメーカーも多少の特徴はあるが、そのメーカーがなければ他のメーカーから車を買えばいいだけだ。なくてはならないものを作っている会社が、なくてもいい会社になっている。これは面白い発見だ。

次に電車が目に入る。電車はなくてはならない移動手段だろうか。東京や名古屋に出るときには電車を利用するし、通学に使っている学生たちにとっても無くなったら困るものだろう。そして、この地域では電車といえばイコール「JR」のことである。つまり、JRはなくてはならない会社ということになる。JRが無くなるということは、電車が無くなるということになる。

車と電車、この二つの違いは何か。それは他の選択肢の有無だろう。車はメーカーの選択肢があるが、電車は一択である。なくてはならない会社になるためには、なくてはならない商品を作ることよりも、唯一のものを提供することの方が重要なのだ。

定食屋で

定食屋に着く。ここはコロナが発生してから1~2週間に1度くらいのペースで通うようになった店だ。老舗という雰囲気があり、年配のご夫婦が経営している。幹線道路から一本入った人通りの少ない道沿いにあり、いつも空いている。この日も客は僕一人だ。

僕はいつもの席に座り、いつも通り「ロースかつ御膳のごはん小」を注文する。ロースかつ御膳はなくてはならないものだろうか。きっとロースかつ御膳がなければ生姜焼き御膳を注文するだろう。では、この定食屋はどうだろう? なくてはならないものか?

そんなことを考えているうちにロースかつ御膳を大将が運んでくる。定食が載せられたお盆をテーブルに置くとき、大将は「はい、ごめんねぇ~」となぜかいつも謝る。
最近は少し大将と話すようになった。食べ始めると、手持ち無沙汰になったのか大将が話しかけてくる。無駄話と言えば無駄話だ。

「歩いて来るのかい?」
「歩きです。家はすぐそこ、井川城なんですよ」
「そういや、井川城って言ってたね。会社も歩いて行けるところなのかい?」
「会社は車で行ってるんですけど、今は在宅勤務なんですよ」
「おおそうかい、流行りのやつかい。そりゃあ張り合いがないねぇ」
「いやあ、僕にとっては結構いいんですよ。むしろこっちの方がやりやすいです」
「そうか、いまどきだねぇ」

そしてまた黙って箸を進める。白米とロースかつのペースを合わせながら。白米にとってロースかつはなくてはならないものだろうか。

「ごちそうさまでした」と言って会計をする。お店はキャッシュレスが導入されていないので現金払いだ。千円札を取り出し大将に渡す。大将はいつも千円札を賞状のように両手で受け取る。その後「ありがとねぇ」と言っておつりを返す。

「おいしかったです」
「そりゃあよかった。毎度ありがとねぇ」

お店を出たあと、この定食屋が僕にとって「なくてはならないもの」になりかけていることに気づく。

なくてはならないもの

「なくてはならないもの」になるためのヒントが少し見えてきた。ヒントは無駄なものだ。大将とする無駄話によって、定食屋が僕にとって唯一のものになりかけているのだ。

唯一のものになることで他との比較から外される。比較された時点で、なくてはならない会社ではない。では、比較されない唯一のものになるためにはどうすればいいのか? それは商品とは別のところで余計なことをすること。なくてはならない会社になるには、なくてもいいことをするのだ。

人間だって同じだろう。スキルは代替可能だ。なくてはならない人というのは、スキル以外になくてはならない要素があるものだ。それは見方によっては「余計」や「無駄」と思われることかもしれない。だが、それらを活かすことで「なくてはならない人」になるのだ。そして「余計」や「無駄」は誰しもが必ず持っているものである。だから、どんな人にも「なくてはならない人」になる素質があるのだ。

「なくてはならないもの」になるために、「なくてもいいこと」をする。
僕はこれをMT(耳タコ)で言い続けていきたい。