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【今週の気づき】鬼滅の刃から考える現代ニーズ

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【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したものです。

先週末、旅行帰りに寄った東名高速の足柄サービスエリア。お土産コーナーの一部が「週刊少年ジャンプ」ゾーンになっていて、そこでは鬼滅の刃グッズが売られていた。いつもなら素通りしていたと思うが、その時は足を止め、どんなグッズがあるか見て回った。
缶バッジ、キーホルダー、パスケース、フィギュア。
どれも必要ないのだけど、手に取って「買っても良いかな」なんて思っている。それは前の週にAmazonプライムで鬼滅の刃のアニメを全26話見たからだろう。ストーリーを見れば、思い入れが違ってくる。

グッズ売り場にはたぶん同じように登場人物やストーリーに共感した人たちで混雑していた。人気の高さを感じる。では、なぜ鬼滅の刃がこんなにも流行るのか。なぜ共感を呼ぶのか。流行るものには理由があるはずである。今回は鬼滅の刃のヒット要因について自分なりに考えてみようと思う。

完結していることが動機

鬼滅の刃を見ようと思ったのは、テレビで特集されていたことと、既に完結していると知ったからである。特に完結しているということが僕の中では大きな理由だった。何か始めるのに、どのくらい自分の時間を使うのかわからないものには取り掛かりにくいもの。その点、鬼滅の刃は23巻で終わる。どのくらいの時間で終わるのかがわかることは、やり始めるのに十分動機になる。

目的とプロセスが明確であること

また、放送された鬼滅の刃のアニメを見終わって、下記2点が特徴的だと思った。
① 共感できる具体的な目的があること
② 目的を達成するためのプロセスが明示されていること
もちろんヒット要因は他にも、ストーリーが面白いこと、キャラクターが個性的であること、アニメの描画が美しいこと、構成が感動的であること、戦闘シーンがスピーディーであることなど、たくさんあると思う。今回はより時代のニーズに合っていると思った上述の2点について、過去同じようにヒットしたドラゴンボールとワンピースとの違いを考えてみた。


ちなみに僕の前提知識は以下の通り。
ドラゴンボール:全巻読了
ワンピース:マンガは途中まで、アニメはたまに見る程度
鬼滅の刃:アニメで放送された26話まで見た(全23巻中7巻まで?)
(ワンピースと鬼滅の刃は全話読んだわけではないので、間違ってたらごめんなさい。)


① 共感できる具体的な目的があること

<鬼滅の刃>
鬼滅の刃では、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)の家族が鬼に殺され、唯一生き残った妹の禰豆子(ねずこ)も鬼にされるというところから始まる。そして炭治郎は鬼にされた妹を人間に戻すために旅に出る。つまり身近な家族を救うことが目的となっている。目的が明確であり、かつなぜその目的をもったのかという背景もわかりやすい。

<ドラゴンボール>
ドラゴンボールでは、悪役が出てきて(ピッコロ大魔王、ベジータ、フリーザなど)、悪役を倒すことで世界を救うことが目的である。ドラゴンボールでは、世界を救うことが身近な人を守ること繋がるイメージだが、鬼滅の刃では、家族を救うことが結果として世界を救うこととなっている。

<ワンピース>
ワンピースでは、主人公のルフィが海賊王になることが目的である。海賊王という壮大な夢があるが、海賊王とは具体的に何なのかということは、よくよく考えるとわからない(書いてあったかもしれないが、忘れてしまう)

② プロセスがイメージできること

<鬼滅の刃>
鬼を人間に戻す手掛かりは、妹を鬼にした張本人で鬼のボスである鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)である。鬼はボスの鬼舞辻無惨以外に、中ボスの位置づけの12鬼月と呼ばれる12人の鬼がいる。12人としっかりと明示されており、おそらくこの12人の鬼を倒していき、最後はボスにたどり着くというプロセスが想像できる。

<ドラゴンボール>
宇宙全体であとどのくらい悪者がいるのか、あと何回戦うのかということがわからない。もちろんそれは、何が起こるのかわからない面白さになってもいる。

<ワンピース>
海賊王になるためにグランドラインという場所を目指すが、その過程でどのような敵がどのくらい出てくるのかが不明確である。これが面白さでもある。

これは良いとか悪いとかの話ではなく、時代と合っているかどうかの話である。おそらく20~30年前は、目的やプロセスの明確性よりも長く楽しめるものの方が合っていたのだろう。

現代は余暇の奪い合い

今の時代は余暇の奪い合いと言われる。
動画、ゲーム、SNS、ネットの記事、kindle、漫画。
スマホがあれば待ち時間も問題なくつぶせる。暇な時間も忙しいのである。

そんな時代だからこそ、まずは終わりが明示されていることが重要な要素なのだろう。終わりがわからないものには時間を使いにくい。どのくらいで完結するのかわかるから始めることができる。終わりが明示されていることが、見てもらえる、手に取ってもらうための必要条件になっていると思う。

また、ストーリーの目的としては、地球を救うことや海賊王になるような壮大なものよりも、家族を助けることというような、身近で具体的な目的にした方が共感が得られやすい。さらに物語をどのように進めて目的を達成するのかイメージできた方が、離脱せずに見続けられると感じる。離脱しないためには、目的への共感とプロセスのイメージしやすさがポイントなのだろう。

まとめると、余暇の奪い合いである現代において、見てもらう(手に取ってもらう)ためには、終わりを明示すること。続けて見てもらうためには、身近で具体的な目的があることと、プロセスがイメージできることが重要なのだと思う。

さて、サービスエリアのグッズ売り場では息子とフィギュアのガチャガチャをやることにした。出てきたのは主人公の仲間である我妻善逸 (あがつまぜんいつ)というキャラクターだった。

このキャラクターは臆病で不器用で、ひとつの技しか使えない。しかし、そのひとつの技を極めることで鬼を一太刀で倒すだけの能力を持っている。
「全部のことをできる必要ない。ひとつでもできれば十分」
と気づかせてくれるキャラクターで、僕は好きなのだが、息子にとっては外れだったのか、車に置きっぱなしにされていた。彼がこのキャラクターの良さに気づくのはもう少し先なのかもしれない。