スイカの季節になった。
松本のスイカは甘くておいしい。スイカの名産地だ。僕自身もスイカが大好物ということもあり、毎年この時期になると、お世話になっている方々にスイカを贈ることにしている。まあまあな数になるので、「スイカの乱れ打ち」と呼んでいる。
贈るスイカは、いつも決まった農家さんの直売所で買っていたのだけど、その農家さんは去年で直売をやめてしまった。今年からは注文販売のみとなっている。ただこの注文方法がFAXなのだ。これがなかなかにして面倒である。どうして今どきFAXなのだろうか。
ということで、今週は、一周まわったFAX注文についての気づきである。
FAX注文
僕がFAX注文するときの手順は以下の通りだ。
・Excelで送り先情報や、スイカのサイズと個数を記した表を作る。
・ExcelをWordに貼り付け、自分の住所や電話番号などを書く。
・Wordを印刷する
・コンビニからFAXを送る。
なかなかに手間である。
「今どきFAXかよ」
正直そう思ってしまう。
ただ実は去年、直売所でスイカを買いながら、「今年で直売は終わりなんですよ、来年からはFAXで注文してください~」なんて会話をしていたときに、「ネットで販売しないんですか?」と聞いてみた。
その時の答えは「うちは、そういうのやらないんですよ」だった。意思を持って「やらない」と決めている感じがした。印象に残っている言い方だった。
もちろんネットにするのが面倒だとか、やり方がわからないという理由かもしれない。でも、ここではあえて、意思を持ってFAXを使っている前提で、「なぜFAXなのか」について考えてみようと思う。
アナログ出力であること
FAXである理由はなんだろうか。
まず考えられるのは、アナログ出力だということ。注文が入ったことがひと目でわかる。留守にしていても、帰った瞬間に、注文のありなし、注文の量が、紙の有無や紙の量で瞬時にわかる。そして、出力された紙を利用すれば、箱詰めや、送り状の記入といったアナログの作業と紐付けしやすい。つまり、管理がしやすいということである。
しかし、管理という点について言えば、受注作業を効率化するサービスは既にあるだろう。ネットの注文フォームとプリンターを紐付ける。注文が入ったときに、プリンターから紙が出力される。そこに送り先情報と送り主情報が記載されている。そんなサービスはいかにもありそうだ。それならばFAXでなくてもいい。
相手を感じること
では、FAXにしかできないことはなんだろうか。
それは買い手の人となりを、なんとなく感じることだろう。つまり相手の存在を感じることだ。FAXはとにかく自由度が高い。注文する際、送り先の情報、送る物の情報、送り主の情報、最低限この3つが書かれていれば、どんな書き方をしても良い。その自由度の高さから、書き方に人間性が出る。必要な情報のみを簡潔に書く人もいるだろう。僕の場合、最低限の情報だけ記すのは、なんだか味気なく感じてしまい、ついつい余計なことも書いてしまう。
たとえば、
「いつもおいしいスイカをありがとうございます」とか、
「送った皆さんには、いつもおいしいと言っていただいています」とか、
ネット注文では書かない一言を添えたくなってしまう。
僕はパソコンで書いたけど、人によっては手書きの人もいるだろう。手書き文字には、書き手の存在を感じるものだ。もしかしたら、絵なんかも描き加えて注文している人もいるかもしれない。FAXという自由度の高いものを使うからこそ、買い手の存在を感じられるのだ。
スーパーの野菜売り場では「生産者の顔が見える野菜」なんてフレーズで、農家さんの顔写真付きで売られている野菜を見かけることがある。なにも情報の無い野菜よりも、顔写真付きの野菜をつい手にとってしまう。農家さん、つまり「相手の存在」を感じると、どこか安心感があるものだ。
同じように、売る側の人だって、買う人を感じていたいと思っても何ら不思議ではない。どんな人が買っているのか。どこに魅力を感じて注文してくれるのか。きっと人間は、買う側、売る側に関係なく、相手の存在、もっと言うと「つながり」を感じていたいものなのだ。
売り手の存在を感じさせる工夫は色々なところでされているけど、買い手の存在を感じさせるものはあるのだろうか。今後はこういう買い手の存在を感じられるサービスが求められるかもしれない。売れればいい、買えればいい。そんな時代は終わりつつあるのだ。
と、あえてFAXを使う理由を考えてみたけど、買う側からするとFAXはやっぱり面倒である。もう少し、何とかならないものかなぁ。