学生のころ、当時実家で飼っていた犬に悩み相談をしたことがある。
もちろん相手にはこちらの言葉はわからない。ただ、「どうした?」という目で見つめ返してくるだけである。
解決のアドバイスがほしかったわけではない。ただその悩みを自分の外に出したかったのだろう。そしてその相手が、
「そんなことで悩んで情けないやつだな」「それはお前が〇〇だからだろ」
といったこちらを傷つけるような反応をしないという前提があるから、話せたのだろう。
オンラインの効果
もうすっかりオンライン会議が定着したと思っている。コロナが始まった3年前、世の中ではリモートワークが広がり、そして当時在籍していた会社でもオンライン会議が手探りで開始された。その当時、自分も感じていたことだし、世間でも言われていたことは、オンラインよりもやっぱりリアルのほうがいいよね、ということだ。
アイコンタクト、相手の表情、視線のそらし方、身振り手振りがやっぱり大事だよね、と。また、会議が終わったあとの「そうは言ってもさ」で始まる本音、会議室から席に戻るときに歩きながらする雑談、実はこれが大事だったんだよね、と。
あのころは、リアル会議の代替としてオンライン会議を位置づけていた。リアルでは当たり前にあったものがなくなり、その効果や効用の大きさを実感したからこそ、リアルがいいよね、となっていた。
そして、テレビ会議が一般的になり、オンラインとリアルの対比がされなくなったいま、改めて感じはじめているのは、オンラインの新しい効果である。もちろん距離が離れていても会議ができるというわかりやすいものはある。でもそれとは別の、あいだを埋めてくれる役割のようなものがオンライン会議にはあるのだと思う。それは、言うならばオンラインならではの話しやすさである。
オンラインだから話せること
悩みだったり、あるいは自己開示だったり、少し話すのが恥ずかしいエピソードだったり、自分の弱さだったり、隠しておきたい一面だったり、そういうものについてはオンラインの方が言いやすいのだ。
たとえば、誰かに謝らなければいけないとき、(リアルで謝るべきだという意見は置いといて)きっとオンラインの方が気がラクだろう。それは身体的危害を加えられないという安心感もあるかもしれないが、それよりもむしろ相手の怒りや呆れや失望といった、非言語から伝わってくる自分を傷つけるものが、ダイレクトに自分に届かないとわかっているからだろう。
同じように、自分の弱さや悩みや隠しておきたい一面を開示しようという場面でも、リアルよりもオンラインのほうが相手の非言語的反応が伝わりにくい。だから安心して自己開示しやすいという側面は大いにあるのだと感じている。オンラインでは仲良くなるのは難しい一方で、その距離感から自分が傷つかない安心感もあるのだ。
1対1のオンライン会議では「大谷さんだとなんだか話してしまう」と言われることがある。あまり自分から話をしないというぼくの特徴がそうさせていることもあるだろう。一方で、その要因のひとつとして、オンライン会議だから、というのもあるのだと感じている。
オンラインだから埋められる人間関係の隙間のようなものがあるのだ。
隙間を埋める使い方
テクノロジーの発展というと、AIだとか、ドローンだとか、未開拓の新しい大地を見つけるようなイメージを持つけれど、そのテクノロジーの使われ方は、むしろいままでの生活の隙間を埋めるもののほうが多かったりすると思うのだ。そしてその隙間は、見つけてみるとけっこう大きいものだったりする。
飼い犬に話すのと、リアルに人に話すものの隙間として、オンライン会議があったりして。
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