あれは2年くらい前のことだった。
不安で眠りが浅い日が続いていた。これまで以上に高い価格で、ある会社の補助金申請用プレゼン資料作成を請け負っていた。補助金の額は2500万円。社長さんは「ダメ元だから」「通ればラッキーくらいに思っている」と言ってくださったが、それでもぼくは、額に見合った仕事をしなければと自分にプレッシャーをかけていた。そう、不安の正体はプレッシャーだったのだ。
そのときは、「フリーランスとはなんと大変な道なのだろうか」と思ったものだ。仕事がなければ不安になる。かといって仕事があったらあったでそれがプレッシャーになる。心が安らかになる時間なんてないじゃないか、と。
しかし、振り返ってみれば、そのプレッシャーこそがいい仕事を生み出す原動力になっていた。
寝る前であっても「あそこはこう表現するとわかりやすくなるかも」と思えばメモをとった。より見栄えがよくなるデザインをネットから探した。自分でもよくやったと思う。プロジェクトリーダーの方からは「よく短期間でこんなに理解して形にできますね」と言ってもらえた。そして、無事に補助金が採択されたときの安堵感。肩の荷がおりたと同時に、ひとつの壁を乗り越えたような気がした。
プレッシャーという思い出の源泉
不安の正体はいろいろある。お金がない不安。なにかを失う不安。できるかわからない不安。そのなかでも、プレッシャーに起因する不安は、そこまで悪いものではないのかもしれないと思う。
結果がわからない。うまくできるかわからない。自分にできるのかわからない。そのプレッシャーのなかで、どうにかしようともがいてみる。どうにもならないかもしれないけど、やってみる。プレッシャーを感じ、眠れない日が続いたとしても、結果を出そうとやってみる。その過程こそ大切なのではないかと思うのだ。
高校のころ、部活(野球)の練習試合ではじめて打席に立ったときのことはいまでもはっきりと覚えている。足が震えたし、バットがこんなにも重く感じるのかと思った。他にも公式戦が近づくにつれて緊張感は高まったし、受験では一発でよい点を取らなければいけないプレッシャーもあった。
当時はあまり気持ちのいい感情ではなかったかもしれないけれど、振り返ってみるとプレッシャーがかかる場面はどれもいい思い出になっているのだ。
人生は思い出づくり
今月から、あたらしい企業さんと業務委託契約を結ぶ予定である。まだ契約の締結まではいたっていないものの、大筋の部分では合意できている。はじめて、自分の知り合いでもなく、知り合いからの紹介でもないお客さんである。それもこれまでで一番大きな契約になる。
自分にできるだろうか。期待通りの、期待以上の成果をつくれるだろうか。このような気持ちもある。プレッシャーは当然ある。
ただね、プレッシャーがあるということは、最後にはいい思い出になっていることは確定しているんですよね。ぼくは、人生は思い出づくりだと思っているので、この思い出を将来の楽しみにしようと思います。