今週の気づき

【今週の気づき/032】お金で作られる上下関係

【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したものです。

2021年元日。お年玉をもらって息子(小2)は泣いた。うれし涙ではない。金額が少なくて悲しかったわけでもない。悔し涙だ。微笑ましいはずのお年玉の受け渡しで息子は悔し涙を流した。その姿を見て、僕は息子らしいと思いつつ、その気持ちを大切にしてほしいとも思った。

お年玉での出来事

息子は改まった行事が苦手だ。行事になるとどうしても照れてしまう。普段は「ありがとう」も「ごめんなさい」もスッと言える。しかし、人前に出て決まった挨拶をすることは苦手なのだ。

元日の昼頃、実家での集まりの中、何となくの流れで、お年玉をもらうときは「あけましておめでとうございます」の挨拶と「今年頑張ること」を言わなければいけないことになった。子供が一人ずつ大人の前に行き、挨拶をして、お年玉をもらうという流れだ。

息子の番になったとき、なんとか照れながらも「あけましておめでとうございます」が言えた。そのあと、「勉強を頑張ります」と言った。息子は勉強がそんなに得意ではない。ゲームの方が圧倒的に好きだ。きっと大人が求めている答えを言ったのだろう。その後、祖父(僕の実父)に「お願いが一つあります。声をかけたときは返事をすると約束してほしい」と言われたときに返事ができずにいた。そして「いやだと」泣きだしたのだ。

お金で作られる上下関係

お金を渡す者と受け取る者。この両者の間にはときに上下関係が生まれる。お金を受け取る者は、渡す者の喜ぶような答えをしなければならない。要求も受け入れなければならない。このような圧力が生じることがある。

もちろん、お年玉は上下関係を示すことが目的ではない。挨拶ができるようになってほしい。これをきっかけに何かを頑張ってほしい。大人にとってみればそのような思惑があったのだ。少なくとも僕はそう捉えていた。しかし、これは同時にお金で上下関係を作ることでもあった。

この一連のやり取りで生じた上下関係に、息子は悔し涙を流したのだろう。「こんなことやらなければいけないならお年玉なんていらない」とも言った。

お金よりも大事なもの

「お金のためにやりたくないことをやらなくてもいい」
泣いてすねまくっている息子に必死でそう伝えた。
息子はもうお金の価値を知っている。お金があればおもちゃが買える、ゲームが買える、やりたいことができる。お金が大好きだ。でも、そのお金を拒否してまで守りたいものがあったということだろう。息子の中にお金よりも大事なものがあることが嬉しかった。

上下関係から離れる

世の中には暗にお金で作られてしまう上下関係が至る所にある。奢ることは気持ちの良いことだし、寄付したときも気分が良いもの。しかしこれらは、自分が上の立場になったという優越感の表れなのだろう。自分自身も知らないうちにお金で作られる上下関係の中にいる。そして今回のお年玉のように無自覚のまま、「お金を払う側が偉い」と子供に伝えてしまっていることがある。

そうならないためにはどうすればいいのか。それはお金を払う側が「ありがとう」と言うことだろう。お年玉でも、奢る場合でも、寄付するときでも、「ありがとう」と付け加える。そうすることでお金が作る上下関係から距離を置くのだ。

考えてみれば大人は子供からたくさんのものを提供してもらっている。日常にある喜びや笑い。子供と関わることによる学びと成長。生きる活力。これらを無償で届けてくれているのだ。

これらをお金で買おうと思うと何十万円か下手すれば何百万円とかかるのかもしれない。だったらせめてお年玉くらい「ありがとう」と言いながら渡したっていい。お金を払う側も、受け取る側も対等である。そう伝えるためにも、来年からはお年玉を「ありがとう」と言いながら渡したいと思う。

さて、息子のその後はどうなったかというと、泣き止んだあとはみんなの前に出て「なにも頑張りたくない」と宣言し、お年玉もしっかりもらうことに成功しました。めでたしめでたし。