「わざわざありがとうございます」
で使われる「わざわざ」という言葉。意味を広辞苑で調べてみると以下のように書いてある。
“ついでにするのではなく、ただその事のためにだけ行うさま“
個人事業で必要になるのはこの「わざわざ」なのだな、と思うできことが今週あった。ということで今週は「わざわざやるということ」についての気づきである。
わざわざ話しかける
今週火曜の夕方、『すき家』で食事をとった。正午すぎに、気分を変えるためにカフェで3時間ほど作業をして、その帰りに車で寄ったのだ。食事を終え、お店から出たところで、駐車場と歩道の間にある植樹帯(植木が生えているところ)を掃除しているおじいさんが目に入った。
おじいさんは下を向いて作業しているのでこちらには気がつかない。ひとりで黙々と作業をしている。わざわざ話しかけるのも変かなとすこし迷ったけど、近づいて声をかけてみた。
「どうも~。掃除してくれてありがとうございます」
「ああ、どうも」
こんな簡単なやり取りだったけど、おじいさんは笑顔だった。
車を発進させ、駐車場からでるとき、合流する車線が渋滞で停滞していたので、車の中からまたおじいさんに話しかけた。
「さっきはどうも。掃除ありがとうございます」
「ああ、ここの店長さんかい?」
「いや~、ただの客ですよ」
「そうかい、どこから来たんだい?」
「松本です。すぐそこ」
「よく来るのかい?」
「はい、たまに来ます」
「ここ、うまいのかい? おれは1回位しか食べたことなくて」
「そうですね。おいしくて、安いんですよ」
「ああ、そうなのか。ここは朝もずっと混んでるからね、気になってたんだよ」
会話をしているうちに車線の車が動きだしたので、おじいさんに別れを告げ車線に合流した。なんだかおじいさんも嬉しそうだったし、わざわざ声をかけてよかったと思った。
個人事業と「わざわざ」
退職してからというもの、当然のことながら仕事をしていなくても怒られることはない。平日の昼間から家でゴロゴロしていようが、テレビを観ていようが、SNSを読み漁っていようが、誰に注意されることもない。
それは言い換えれば、自分が仕事をしなくても誰も困らないということ。つまり、自分がなにもしなくても社会は問題なく成立しているということだ。その社会にいったい自分がなにを提供できるのか、そう考えてしまうと途方にくれてしまうけど、このおじいさんとのやり取りにヒントがあるように思う。
話しかけなくてもおじいさんは問題なく掃除を続けていただろう。自分が話しかける必要なんてまるでない。むしろ変な人だと思われるかもしれないし、警戒されるかもしれないし、邪魔をしてしまう可能性だってある。それでもわざわざ話しかけてみる。自分が良いことだと思えばわざわざやってみる。もちろん、望んだ結果にならないこともあるけれど、それがほんの少し誰かの喜びにつながることだってあるのだ。
個人事業とは、自分がなにもやらなくても成立している社会に対して、一歩踏み込んで行動し、誰かにとってのほんの少しの喜びを提供するものなのだろう。社会を変えるとか、必要とされるとか、大袈裟なことは考えなくてもいい。そして、ほんの少しの喜びを提供するために必要なのは、お節介に似た「わざわざ」なのだろう。
親切日記
さてさて、ぼくがおじいさんに話しかけられたのは、ここ1ヶ月位続けている3行親切日記のおかげでもある。これは寝る前に一日を振り返り、今日できた親切を3つ書き出すというものだ。これがなかなか難しく書くのに苦労する。でもこの親切日記があったから、今日の親切をひとつ増やすためにも、ためらいながらもおじいさんに声をかけられたのだ。
日常の行動をほんの少し変えると、ある日の自分の判断が、これまでとは違ったものになる。
3行親切日記。オススメです。
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