生活が乱れている。
と聞いてぼくが思い返すのは大学生の頃だ。春休みや夏休みの授業のない期間。ぼくは一人暮らししていた千葉から東京の実家に戻り、外出といえばたまに友人と遊びに出るくらいで、バイトするでもなく、どこかに旅行するでもなく、ほとんどの時間を実家で過ごしていた。朝とも昼とも言えない時間に起き、適当な食事をとり、なにかを満たすように、特にやりたいわけでもないゲームをする。そうこうしているうちに気がついたら明け方近くになっている。まさに「生活の乱れ」を絵に描いたような生活だ。
生活の乱れとは
一方で、睡眠時間が乱れても「生活の乱れ」を感じない時期もあった。大学院の頃だ。研究で帰りが深夜になる日もあれば、実験がうまく進んでいるときには、そのまま研究室に泊まることだってよくあった。当然、寝る時間や起きる時間はばらばらであったけれど、あの頃を思い返したときに出てくる言葉は「生活の乱れ」ではなく「充実した日々」だ。
この違いはなんだろうか。同じように睡眠の乱れはあっても、感じ方が違うのはなぜだろうか。
その理由のひとつは「時間の使いかた」なのだと思う。埋まらないなにかを埋めるためにただ時間を使っているのか、それとも、やりたいこと(あるいは「やりたい」とまでは思えなくても自分で決めたこと)のために時間を使っているのか。この違いによって、「生活の乱れ」を感じるのではないだろうか。
最近の乱れ
最近、生活が乱れ始めていると感じている。寝る時間が遅くなり、起きる時間も遅くなりつつある。睡眠の乱れの原因のひとつには出張が続いていることもあるけれど、それを「生活の乱れ」と感じるのは、自分の向かいたい方向にうまく向かえていない感覚があるのかもしれない。
なんとなくネットを見ていたり、ただSNSをスクロールしていたりする時間が増えたように感じるのは、一日のうちで満たされていないなにかがあるのだろう。だからダラダラと起きてしまうのだ。
「あ~満足した1日だった」ではなく、「足りない」と思うから、少しでもそんな自分を満たそうとして、ネットやSNSを見てしまう。でもそれは、自分のやりたいことではないから、けっして満たされることはないのだ。
生活が乱れ始めるとき、その根底には自分の満たされない欲求があるのだ。
目標の仮置き
最近、ひとつ目標を決めてみた。8月末までに、今年の売上500万円。これは本当に自分が求めているものなのかはわからないけれど、とりあえずやっていこうと思っています。ここに向かうための時間を増やせれば、自分の感じる「生活の乱れ」は徐々に減っていくのではないかとも思っています。
とまあここまで書いてきたけれど、やっぱり睡眠は大切なので、まずはカタチからでも睡眠を整えることで、生活リズムをつくっていこうと思います。

今週のいちまい

5月は新幹線に乗る機会がたくさんありました。降りるときの「遠くに来た感」は割りと好きです。
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