人付き合いにおいてぼくは、一定の距離を保つクセがある。
おそらくぼくは、人当たりの悪い方ではない。威圧的な態度はとらないし、フレンドリーな対応もできる。冗談を言うときもある。自分から話すほうではないけれど、話しやすいと言われることもある。
しかし一方で、それ以上の深い関係性になることはほとんどない。本音を言わないし、本心を明かすこともない。なるべくキレイなところだけを見せられるように振る舞っている。キレイなところだけを見せられる距離感で人と付き合うというが、ぼくのやり方だ。
汚い自分
いつの頃からだったか、ぼくは自分がそんなにいいやつではないという自覚をしている。
学校で誰かが怒られていたら「しめしめ」と思っていた。自分だけ怒られるのが嫌だから友だちを共犯にしたこともある。野球では自分より活躍する人をよく思わないし、チームの勝ち負けよりも自分の成績のほうが大事である。怒りっぽい短気なところもある。
こういう自分を知っているから、そのことがバレないように距離をとる。近づけば自分の汚いところが相手に伝わり仲良くしてくれない、仲間外れにされる。そう思うから近づきすぎないようにする。
だったらとことん距離を置けばいいのではと思うけれど、それを望んではいない。ぼくが本当に望んでいることは、仲良くなることであり、深く関係することなのである。
優秀さの証明
自分の汚いところを隠しつつ人と良好な関係を築く。そのために自分が優秀であり、役に立つことを示すというのがぼくのやり方だ。勉強でも部活でも仕事でも、活躍することや成果を出すことでようやく受け入れてもらえると思っている。距離を置いた上でなおも良好な関係を保つためには、自分をたいしたやつだと、有能なやつだと思ってもらう必要があるのだ。
だからこそ怖れるのである。たいしたことないやつだと、無能だと、おもしろくないと思われることを。無能だと思われて関係を断たれることがなによりも怖いのだ。だから自分より優秀な人がいることは脅威であり、そいつを敵だと思ってしまう。自分の有能さを示せなければ居場所はなくなると思い、相手から関係を断たれるくらいなら自分から関係を断とうとすら思う。これがいままでのぼくの行動原理であり思考パターンである。
願いに近づくために
ぼくが本当に望んでいることは、人と仲良くなることであり、深く関係することである。たとえ自分が無能であっても、たいしたやつではなくても、汚いところがあっても、それでも仲良く、深く関係し続けてもらえることを願っているのである。
書きながらもこんな願い本当に叶うのだろうかと疑う気持ちがある。むしろそんな都合の良いことなんてあるわけ無いとさえ思う。願いが叶えられるかはわからない。でも近づくことはできる。近づくためには、自分の無能さや汚さを「ある」と認めて開示していく必要があるのだ。ぼくにとってこの開示は恐怖ではある。いつもの有能さの証明は心地よくもある。けれどこの開示に挑戦していくことに少しワクワクしている自分もいるのである。
これからは「こいつ変な自己開示してくるな」と思うことがあるかもしれませんが、そのときには「挑戦してるんだな」と温かく見守ってくれたら幸いです。
ちなみにこの気づきは、HMT認定テクノロジストの和田和子さんとのセッションで得られたものです。
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