このコラムは、リーダーシップと自己成長について深い洞察を提供しています。著者は、真のリーダーシップは必ずしも完璧さや強さを示すことではなく、時には謙虚さや脆弱性を認めることも含むという重要な教訓を学んでいます。自分の限界を認識し、他人の助けを求める勇気は、実際には強さの印であり、効果的なリーダーシップの鍵となる可能性があります。
あんなふうに頭を下げたのは初めてだったかもしれない。
2年前、ある研修を受けたときに、あるゲームに参加した。参加者約40名の研修メンバーが2つのグループに分けられる。各グループごとにリーダーをひとり選出する。リーダー立候補制である。目的は勝つこと。リーダーがチームを勝ちに導くこと。リーダーがすべての責任を負うこと。
このような説明がなされ、講師の方からプレッシャーをかけられる。ぼくはこの研修ではすべてに手を挙げると決めていた。できることならリーダーなんてやりたくないし、チームを勝ちに導く自信なんてなかった。けれど手を挙げると決めていたからこそ、リーダーをやるつもりで話を聞いた。絶対に自分の力だけでは勝ちに導けない。ならどうするか。その答えが出ないまま手を挙げた。覚悟を持ってのことだ。
ゲームが始まって最初にやったことは、チームメンバーに頭を下げることだった。
「自分の力だけでは勝ちに導くことができません。力を貸してください」
そう言って頭を下げた。
文字にしてみると流暢に言っているように思われるかもしれないが、実際はこんなにはっきりとは口にできていない。なんとか振り絞って出したことばだ。
力不足を認めて頭を下げる
リーダーというのはみんなから頼りにされたり、ひとりで突破する力を持っていたり、チームを引っ張っていく力を持っていたりする存在だと思っていた。ぼくは「できる」人に憧れるし、できれば自分もそういう存在でありたいと思う。でもあの時点のぼくは、自分が憧れるリーダー像には到底なれないと思った。そのリーダー像であろうとしたら、チームは勝てないと思った。だから憧れのリーダー像を捨てるという選択をした。それは自分が周囲からどう見られるかよりも、結果を優先したからであり、それは責任を感じていたからだ。
これまで人に謝ることや、「お願いします」と頭を下げたことは何度となくあるけれど、あんなふうに自分の力不足を認め、力を貸してくださいと頭を下げたのは初めての経験だった。
本当のかっこよさ
以前はアニメの主人公のような、あの人にまかせれば大丈夫と思われる人に憧れていたしかっこいいと思っていた。堂々としていて頼りがいがある。ピンチになったら救ってくれる。そういう人間に自分もなりたいと思っていた。今でもできるならそうなりたいと思う。一方で最近は、お客さんにヘコヘコ頭を下げたり、ごまをすっているように見える姿にも、かっこよさを感じることが増えた。昔は、自分はヘコヘコする人になりたくないと思っていたけれど、頭を下げられる人、一見かっこ悪いと思える言動を取れる人を、かっこいいと思う場面が出てきた。
それは、その人が頭を下げるだけのミッションを持っていると感じるからだろう。頭を下げてでも成し遂げたいものがあることを、感じさせるからだろう。目的のためなら自分はかっこ悪くてもいい。ありたい世界に近づけるなら頭を下げてもいい。本当のかっこよさとは、頭を下げるだけのミッションを持っていること。頭を下げてもいいと思える目的を持っていることなのだ。
痛みがあるから生まれる
ぼくはというと、あの研修以来、自分の力不足を認めて力を貸してくださいと頭を下げたことはない。研修を離れた現実世界では、プライドが邪魔することもあれば、責任感が不足しているということもあるかもしれない。要はプライドを凌駕するほどのミッションを持てていないことが自分の課題であり、そのためにはある種の痛みや傷つきは必要かもしれないと思うこのごろです。
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