「継続は力なり」ということばがあります。
続けていれば力になるということだと思います。
しかし、約4年半書いてきた記事を読み返してみて感じたのは「成長」というより「慣れ」でした。
なぜそう思うのか。
ということで今週は「成長と慣れ」についての気づきです。
昔のほうがおもしろい
さて、このコラムも今回で200回目です。基本的に毎週(たまに休みを入れながら)書いてきました。期間にして約4年半。気がついたら200回を迎えたという感覚であり、達成感はあまりないけれど、それでも自分を褒めてあげたいと思う。えらいぞ。
きっと最初のコラムは恥ずかしくて読んでいられないのではないか。でも恥ずかしいと思えるならばそれは自分が成長しているという証だ。自分がどんな成長をしているのか確認してみよう。そう思って最初のコラムを読んでみました。
あれ? 結構いいこと書いてるじゃん。なんならいまよりおもしろいし。でもきっとこれは会心の記事だったんだろう。2回目からはもっと恥ずかしくなる記事を書いているに違いない。
ん? これもまたいいこと書いている。おもしろいじゃん。むしろいまよりもいいこと書いてるじゃん。
記事を読み返してみた結果、
「おえー、おれこんな恥ずかしいこと書いている」
という体験をする代わりに、
「果たしておれは成長しているのだろうか?」
という思いにかられたのです。
成長と慣れ
そういえば、最初の頃は「今週は書けるだろうか」と毎週のように思い悩み、しんどい思いをしながら書いていました。
だからこそ常にアンテナを張り、なにか書けそうなことがあればメモ帳に残していた。家に帰ったあとは頭の中にあるなにかを発見するために、ノートに「頭のなかにある考え」を書き出すということをやっていた。もちろん見つかることもあるし、見つからないこともある。それでもなにかを「探す」という作業をしていました。
友人に
「しんどい思いをしてまでなんで書いてるの?」
と聞かれることもあったけど、そのたびに
「筋トレと思って書いてる」
と答えていました。
それがいまでは書くことに慣れ、アンテナを張るという意識(メモに書く)も、なにかを探すという作業(ノートに書き出す)もせずに、パソコンで書くということをしている。アンテナを張らず、探す作業をしなくても「それなりに書けるだろう」と思っているわけです。
筋トレも慣れてしまい、負荷が小さくなれば筋肉はつかないですよね。
「継続は力なり」というけれど、慣れているなかで続けていてもあまり力にはならないのかもしれません。
初心にかえって
200回という節目に初心にかえることができた気がします。
これも続けていたからこそわかったことだし、さらに言えば発信しはじめたから気づいたことですね。
続けてきたという事実は残るわけです。
さて、初心にかえって、筋トレとして書いていこうと思います。
ただし、急に負荷を高めると怪我をするので、徐々にね。