【今週の気づき/265】余剰を確定する
今月は「人に会う」と決めている。
松本で過ごす最後の月。お世話になった人に会い、この地でやりたいことをやる。やり残すことがないように過ごそうとしている。
今週は、母を松本に招いて一緒に桜を見る時間をつくった。母は春になると「桜が」「梅が」「桃の花が」とよく口にしていた。去年、松本の桜を見ていたときに、「この景色を母に見てもらいたい」と思ったことを、ふと思い出したのだ。
平日の昼前に母が松本に到着し、翌日の15時ころまで、約1日半を共に過ごした。1日目は松本城と弘法山へ。




母は足元がおぼつかない。昔に比べると、足腰はだいぶ弱っている。普通の道を歩くのでもぼくの腕につかまったり、腕を組んだりする。街なかで母親と腕を組んで歩くなんて、高校生のころの自分なら、きっと拒んでいただろう。正直にいえば、今でも爽快な気分というわけではない。自分のなかに、まだ甘えている部分があるのだろう。


松本城では、城がよく見える池の前で母が立ち止まった。そのまま動こうとしないので、一緒に写真撮りたいのかなと思い、「写真撮ってもらう?」と声をかけると、「うん」とうなずいた。観光客の方に頼んで、松本城をバックに母とツーショットを撮ってもらった。いつかこの写真を、なつかしく思いながら見返す日がくるのだろう。


2日目は、大王わさび農場と城山公園に行った。当初は松本市内の桜を巡る予定だったが、母が「山が見たい」と言うので、北アルプスがよく見えるルートをドライブすることにした。ぼくが前職の通勤で使っていた道だ。川沿いなので電線はなく、少し道を曲がると山が正面に広がる。以前から、すごい景色だなと思っていた場所だ。






改札からホームへ向かう母の後ろ姿を、そっと写真に収めた。

コテンラジオの番外編で、仏教における「豊かさ」の話があった。仏教では、豊かさとは「余剰」があることだと定義するらしい。時間でも、お金でも、余剰があることが豊かであると。しかし、ただ貯めておくのは「なにかあったときのために取っておく」という目的に使われており、余剰とは呼ばない。それを手放した瞬間に、はじめて余剰となるのだという。
忙しく、時間が足りないと思う日々のなかでも、こうして母と過ごせる時間がある。自分には十分に余剰があると感じた。

