行きつけのお店。
と言ってもいい場所が、ぼくにも存在する。お酒は飲まないタチなので、お酒がメインの店ではない。いわゆる街の定食屋さんである。
週に一度くらい食べに行く月もあれば、まったく行かない月もある。特別、自己紹介めいた話をしたわけではないし、「覚えてますよね」と確認したわけでもない。それでも、対応でなんとなくわかる。きちんとぼくをぼくとして認識してくれているのが。
最近はあまり行けずにいた。お店のラストオーダーが18時までと早くなったことも理由のひとつだ。
久しぶりに17時50分ごろにお店に入ると、女将さんが「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる。そして女将さんの顔は一瞬だけ「ああ、あなたですね」という表情になる。特に言葉がけがあるわけでもないけれど、目を合わせたときに見せる一瞬の表情で伝わってくるものがある。
行きつけに求めるもの
人はなぜ行きつけのお店を持つのか。
もちろん、そこの料理がおいしいというのもある。雰囲気が好きというのもあるかもしれない。
ただそれ以上に、自分を自分だとわかってくれるのがうれしいのである。
お互いの名前を知らなくても、見知らぬ人ではない。通りすがりの人ではない。街の風景の一部としてでもない。ひとりの人間として、個人として存在を承認してくれている。その瞬間が味わえるのである。
予約もなく、許可を得るでもなく、そこに行ってもいい場所。滞在を受け入れてくれる場所。個人として存在を認めてくれる場所。
行きつけのお店には、心が着地できる時間があるのだ。
実家的
いつでも行けて、自分を自分として認識してくれる。これを考えると実家に近いものがあります。
お店によっては、形式的に「おかえりなさい」と言ってくれるお店もあるのかもしれないけれど、求めているものはそういう形式的なものではないんですよね。
心が着地できること。
行きつけのお店に行きたいときは、どこか心が落ち着きたいときなのかもしれません。

夕方の空。太陽が山に隠れて地上は暗いけど、空はまだ太陽光が当たって明るくなっていました。
