ぼくが考えるやさしい世界とはなにか。
やさしいとひとことで言っても、その捉え方は人それぞれである。慰めてくれるのをやさしいと感じる人もいれば、叱咤激励をやさしさと受け取る人もいる。声をかけてくれただけでもやさしいと思うこともある。
なにをやさしいと感じるのか、ぼくがやさしいと思う行動はどんなものか。今週、この漠然としていた「やさしい」について、一部言葉にできた感覚がある。
違和感の正体
先週参加した勉強会。その後の個別面談という形で、今週ある方とお話をした。勉強会や面談での会話、メッセージのやり取りのなかで、ずっと小さな違和感を覚えていた。その違和感とはなにかを言葉にしたときに、自分の願いのようなものが見えてきた。
ぼくが感じた違和感の正体とはなにか。
それは、「あなたには足りないところがあるから、私が変えてあげる」と言われているような気がしたことだ。
「あなたは不足している」「いまのままではだめだ」「変わったほうがいい」こういう前提で関わられているように感じたことだ。
「あなたはこれができないから、私ができるようにしてあげる」
「いまのままだときっとだめだから、変わったほうがいい」
これはぼくが受け取ったものであり、相手の方が本当にそう思っていたのかどうかはわからない。親切心だったのかもしれないし、やさしさとして伝えてくれていたのかもしれない。ただ、ぼくはその言葉をそう受け取ってしまった。
そしてこのように自分が受け取っているということは、ぼく自身の中にも同じように他者に対して思うことがあるということだ。つまり、相手に対して「あなたには足りないところがあるから、私が変えてあげる」と思ってしまう自分が、たしかに存在しているということだ。その事実に気づいたとき、胸の奥がざわついた。
ぼくはいま、変わりたいと強く思っている。成長していきたいと思っている。その成長とは、「やさしい人間」であること。そして、身の回りを「やさしいもの」にできることである。
ぼくの願い
ぼくが本当に望んでいるものは、
「あなたはもう必要なものは持っている」という前提に立った関わりだ。
「あなたには自分で一歩踏み出す力がすでにある。だから大丈夫、あなたならできる」と信じること。
「もし何かに躓いたり、ちょっと困ったときには頼ってね。ぼくが力になるよ」と言えること。
これを伝えられる人間になりたいし、このような関わりが身の回りに増えていってくれたらどんなにステキだろうと思う。
もちろん、こうした考えは「甘い」と言われるかもしれない。「そんなんじゃ通用しない」と言う人もいるだろう。ぼくも20代や30代のころにはそう思っていた。そしていまでも、「そんなんじゃだめだ」と自分にも他者にも思ってしまう瞬間はゼロじゃない。
ただ、やっぱり人生を通じてなにを伝えたいかと言われたら、ぼくはこう言いたい。
「あなたはもう必要なものは持っている」
「あなたには自分で一歩踏み出す力がすでにある。だから大丈夫、あなたならできる」
これがぼくの考える「やさしい」だ。やさしい関わりができる人間になり、やさしさを伝える人生にしていきたいと心から思う。

