今週の気づき PR

【今週の気づき/239】なにもなくても書き続けているうちに

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なにも書くことがない。

いや、もともと「書くことがある」から書いているわけではない。書くことをつくるために書くのである。もちろん「今週は本当になにも書くことがない」という週はある。そんなときに限って、書き始めると「おっ、案外けっこういいのが書けたぞ」となることもある。けれど本当に書けないこともある。

今週、ある方と話す機会があった。

話をしているなかで「あ、この感覚、以前にも味わったことがある」と懐かしさを覚えた。まったく同じではないけれど、似た体験を思い出したのである。

ぼくは人に相談するのが苦手だ。相談したいことはたくさんあるし、悩みだって尽きない。でも悩みをうまく伝えられる自信がない。そうやって、うまく伝わらないなかでされるアドバイスも、的を得ているとは思えず、実行に移すのもおっくうになる。

またなによりも、そのアドバイスをなにも実行に移さないことを申し訳なく思う。自分が逆の立場なら、きっと「アドバイスしてやったのにあいつなにもしてないじゃん」と思うからだろう。だからよほどのことがなければ、相談はしない。

そんな僕にその人はこう言った。

「いま話したなかでなにかやってみてもいいし、やらなくても全然いい。それは君が決めればいい」と。

この言葉にある種の「やさしさ」を覚え、そして懐かしい気持ちにもなった。その懐かしさをたどり、卒業アルバムを開くように、以前自分が書いた記事を読み返してみた。

「あ~そうそう、そうだった」
「これだ、この文章と同じやさしさを感じたのだな」
「というか、けっこういいことを書いているな、オレ」

そんな風に読み進めていくうちに、ひとつの文に目が止まった。

親であれば、子供を愛しているからこそ、子供の将来を心配してしまう。将来のために、なにか役に立ちそうなもの身に着けてほしいと、思ってしまう。塾や習い事。学力向上にスキルアップ。たしかに、これらは役に立つものだろう。しかし、能力を得なければ、スキルを向上させなければ、役立たずというわけではない。そのままの自分でも、本当はじゅうぶんに誰かの役に立てるのだ。

この言葉、嘘偽りなく、子どもにかけてあげたい言葉である。そして読み返して思うのは、いまの自分にもかけてあげたい言葉、であることだ。

新しいスキルを身に着けなければ。
もっともっと成長しなければ。
役に立つ人間にならなければ。

どこか不足を補おうと考えている。足りないと思っている。このままではダメだと思ってしまっている。

でも本当はもうじゅうぶんに持っているのかもしれない。親からの目で見るように自分を見たとき、不足なんか目に入らないくらい、いいところが見つかるかもしれない。

4年前に書いた自分の言葉に、勇気づけられた気がしたのだ。

書くから送られるプレゼント

書くことがなくても書く。これを続けているとたまに自分の言葉に「はっ」と気づくことがあります。気づく瞬間は多くは訪れませんが、書いていることに対するプレゼントみたいなものですね。

ただ、読んでいて恥ずかしくなることもあるっちゃありますけど。

嵐の日は夕焼けがきれいです。