「お前」や「こいつ」。
これらの言葉は、今の時代ではかなり扱いが難しい。口にしただけでも何かしらのハラスメントと受け取られかねないし、ビジネス上ではほぼ禁句だろう。大人になってから知り合った人に「お前」と言った記憶はないし、逆に「こいつ」と言われたこともたぶんない。使うのには躊躇する、ある意味でリスクのある言葉である。
リスクのある言葉だからなのか、それとも他の理由からなのか、「お前」や「こいつ」にはときに特別な意味を感じる。
今週は、ある人に「お前」「こいつ」と言われてうれしかったという話です。
尊敬する人との時間
今週、ある方とご一緒させていただいた。
ぼくはいま、その人のことを心から尊敬している。どうしたらそうなれるのか、と不思議に思うくらいだ。
その方は3つの事業を経営されている。それだけでもぼくには考えられないほど多忙なはずなのに、自身の学びのために通信制の大学にも通い、講演活動も年に150件以上こなしている。仕事人間かと思いきや、子どものPTA活動にも参加し、家族との時間を大切にし、あろうことか自分がゲームをする時間まで確保している。「何人いるんですか?」と聞きたくなるような状態である。
それほどの実績がありながら、物腰は柔らかく、気さくですぐに冗談を言うし変顔もする。直接お会いしたときには、こちらが恐縮しているのに、向こうからフレンドリーに接してきてくれる。
すごい人ほど、すごい人に見えない。その言葉をそのまま体現したような方だ。
「お前」や「こいつ」に感じるもの
こうして2人で食事をさせていただくのは今回で2回目だ。「いつでも連絡してきてね」とおっしゃってくれていたので、プライベートや仕事のことで相談があって「お会いしたいです」と連絡をすると、快く時間をつくってくれた。
車で2時間ほどドライブしながら悩み相談をし、ラーメンを一緒に食べ、夜の街を散歩した。そのあとに入ったスナックで場が温まったころ、その方は、こんなふうに言った。
「こいつが悩んでいるから、聞いてあげてよ」
「お前さあ、もうやっちゃえばいいんだよ」
「お前」や「こいつ」。文字にすれば乱暴だし、今の時代、ビジネスの場では御法度とも言える言葉だ。
けれど、そのとき、その人が普段は絶対に言わない「お前」や「こいつ」に、仲間と一緒にいるときのような、親しい友達になれたかのような、距離が近くなった響きを感じた。
距離がなくなる瞬間
昔読んだ小説に、「呼び捨てにすると、親しく聞こえるだろ」という台詞があった。
ビジネスでは、名前にさん付けをするのが基本だ。たしかに、そこには一定の距離があり、その距離が安心や安全を生んでいる。けれど同時に、その距離がそのまま関係の遠さになることもある。
高校時代の部活仲間とは、いまでも「お前」と呼び合っている。そこにあるのは無礼さではなく、遠慮のなさという信頼関係だ。
「お前」や「こいつ」には、ときに「もうおれらには安心・安全の距離感は必要ないよね」という、ある種のお互いを認めるような、承認のニュアンスが含まれることがある。
見下すための「こいつ」ではなく、横に並んだ「こいつ」。
安心・安全の時期を越えた先の「お前」。
大人になってからも「お前」や「こいつ」と呼び合える関係っていいと思うし、そういう関係が増えればステキなことだと思う。
でも、心から尊敬するその方のことを「お前」とは絶対に呼べないですけどね。

