あの人は時間をどう使っているのだろう、と思うことがある。
日常的な仕事もあるだろう。生活に欠かせない買い物や家事だってある。そのなかで外食に出かけたり、人に会う。そこで忙しそうにするわけでもなく何気ない会話もする。家族との時間だってある。どんな時間の使い方をすればそのような充実した(充実しているように見える)日々を過ごせるのだろう。
日記を書きたい
最近、「燃え殻」という方の日記的なメルマガを読んでいる。
そこに書かれているのは、毎日、母と電話で交わす会話や、原稿がなかなか終わらないという焦り。昼ご飯に下北沢で食べたラーメン。いつ行っても絶対に混んでいない渋谷のカフェ。散髪に行ったときの店主との無言の時間。ラジオ収録で話したこと。
輝かしい毎日ではないけれど、変化もあるし、その場面と心情も描かれている。読んでいておもしろい。どうしたらこんな日記が書けるのだろうと思う。
たとえば平日の自分は、ほとんど家で仕事をしている。
朝起きて、カーテンを開ける。眩しい光が部屋に広がるのが気持ちいいと思う。ストーブのスイッチを入れ、お湯を沸かし、麦茶を淹れる。瞑想とアファメーションをしてからモーニングページを書く。それから仕事に入る。仕事はひとりで黙々と進めることが多い。12時に昼食をとり、食後に筋トレをする。13時からはまた仕事をする。15時にランニングに行き、帰ってからまた仕事。勉強もする。夕食は家であればひとりで食べるし、外食をすることもある。
この生活のなかで、いったい何を書けばいいのだろう。
日記を書けるくらいの人生にするってことなのか。それとも日常のなにかを書けるような観察をしているということなのか。いずれにしても、日記を書ける人生っていいよなと思ったのだ。
なにかになりたい自分
自分には、「なにかになりたい」という気持ちがずっとある。たとえば、燃え殻さんという人の日記にふれて、こんな文章を書けたらいいなと思う。なぜだかわからないが、そう思う。自分も人の心が動くような文章を書けるようになりたい。「なんだかわからないけれど、おもしろい」と思えるような日記を書いてみたい。
また、ポッドキャストのコテンラジオを聞いては、深井龍之介さんのように、自分のやりたいことに振り切った人生を送ってみたいとも思う。そんなに強く「やりたいこと」があっていいなとも思う。
飾らずに自然体で人と接し、気づけば周りに人が集まっている人を見ても、あんなふうになりたいと思う。
「あの人のようになりたい」と思う気持ち。これは無いものねだりなのだろうか。少なくとも、いまの自分には無い。持っていない。これは無いものねだりになるのか。それとも憧れなのか。
憧れと無いものねだり
無いものねだりとは、たとえばこういうことだ。髪の毛がもっとあったらいいのに。身長がもう少し高ければ。お金持ちの家に生まれていれば。これは条件の話だ。その条件は、自分では変えられない。そこには、どこか諦めも混じっている。
一方で憧れはどうだろう。大谷翔平のように、ピッチャーでもバッターでも超一流でありたい。あの人のように、自分のやりたいことにまっすぐに生きたい。飾らずに、等身大で、人と仲良くなれる人でありたい。
条件の差はたしかにある。それでもそこに近づきたいという気持ちがある。まだ諦めていない感じがする。
とここまで書いてみて思う。憧れのなかに無いものねだりがあったり、無いものねだりのなかに憧れがあったりするのかもしれない。
憧れと無いものねだりの間で、まだまだ諦めていない自分を感じつつ、今年は日記を書いていこうと思います。

松本は雪が少しだけ降りました
