全力で生きる。
という言葉を耳にするがある。ぼく自身も「全力で生きたいなあ」と漠然と考えているけれど、ここで言う全力とはどういう状態のことだろうか。スポーツで言えば、全力投球や全力疾走という言葉がある。これらは、その瞬間に精いっぱいの力を出すこと。力いっぱいであることを意味するものだと思う。
しかし、人生という長い目で見たときに、すべてのことに全力であることなんてできるのだろうか。先発ピッチャーは全球を全力で投げたら持たないし、登山をする人は全力で走ったら山頂までたどり着けないだろう。
では全力で生きるとはどういうことなのか。今週は「全力で生きる」について考えてみた。
全力と言える時期
振り返ってみるとぼくにも「あのころは全力で生きていたかもしれない」と思える時期はある。たとえば高校の部活、浪人時代、社会人で初めて開発テーマを任されたとき。もちろんこれらの時期に、すべてに対して力いっぱいだったかというとそんなこともない。
練習で手を抜くことだってあったし、勉強にやる気が出なくてボーっとしていたことだってあった。会議に集中していないときだってたぶんあっただろう。それでも「全力だった」と思えるのは、「結果」に目が向いていたからだろう。「結果」とは、部活なら試合に勝つこと、浪人時代なら受験に受かること、新人のときなら開発テーマを成功させることだ。
一方で、大変な時期ではあったし、いい経験にもなったけれど、「全力ではなかったかもしれない」という時期もある。
それは会社であるプロジェクトのリーダーを任されたときのことだ。その頃のぼくは「リーダーとはどうあるべきか」とか「部下に慕われるためには」とかにとらわれていた。しっかりしなければいけない、リーダーは計画作成やマネジメントができなければいけないと、意識が自分に向いていた。プロジェクトの成功よりも、あるべきリーダー像に自分が近づけているかに目が向いていたのだ。
全力で生きるとは
全力かどうかをわけるもの。それは「結果」に目が向いているか、それとも「自分」に目が向いているかの違いではないだろうか。
ヒットを1本でも多く打てるようになりたい。試合で勝ちたい。
一問でも多く問題が解けるようになりたい。合格したい。
この開発を完了させたい。プロジェクトを成功に導きたい。
自分がどう見られるかという内向きの意識ではなく、自分がつくりたい結果という外向きの意識になっているときに、全力で生きていると感じるのだろう。
全力で生きるとは、結果に向き合っている状態のことなのだ。
そして結果に集中すると良いこともある。それは自分と他人との比較から解放されることだ。結果に意識が向けば、自分と他人を比較する余裕はなくなる。結果のために動いていれば、他者の力を素直に借りられるようになる。結果に焦点を当てることで、他者との比較から解放されるのだ。
いっけん窮屈に思えるけれど、結果を求めることはよりよく生きるコツなものかもしれない。
結果に向き合う
現在、これまでやってきた「社長の考えを発信していく」という仕事を見直しつつある。そしてありがたいことに、他の企業さんからも企業理念を策定してほしいという新しいお仕事の話もいただいている。
仕事を見直すときや、新しい仕事に取り組むときにも、向き合うものは「どのような結果をつくるのか」なのだろうなあ。自分のことはひとまず脇に置いといて、結果に向き合ってさえいれば、たとえ結果がどうなったとしても、全力で生きられたという事実は残るのだ。
今週のいちまい
紅葉がきれいです。特に夕日に照らされた葉っぱはより赤く見えますね。
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