E資格というAI関連の資格を取ろうとしていた。
「取ろうとしていた」と過去形で書いたのは、この2月での受験はできなくなったからだ。E資格取得には受験資格があり、その資格を得るためには、受講した教材の試験に合格することが条件となる。今回、ぼくはその合格条件を満たすことができなかった。
正直に言うと、すこし舐めていた。「ちょっと勉強したらいけるだろう」と思っていた。ところが実際にやってみると出てくる問題はもう、問題文からなに言っているのかわからない。「勉強した教材の範囲を超えてるんじゃない?」と出てくる問題ほぼ全てに思えるほどに、わからなかった。わからなすぎてムカつくレベルである。当てずっぽうで4つの選択肢からひとつを選ぶが、ヤマカン以外のなにものでもない。なにもわからないまま、なにかを選び続ける時間。とにかく居心地が悪かった。
テストの居心地の悪さ
この感覚には覚えがある。高校時代のぼくだ。
当時のぼくは、ほとんど勉強をしていなかった。だから定期テストで出される問題は、ほとんどわからなかった。どう答えていいのか、なにから考えるのか、なにを問われているのかさえもわからなかった。テストの時間はとにかく「暇」だった。周りのクラスメイトたちは問題を理解し、解き方もきっと知っていて、答えを出すために考えている。周りからひとり取り残されている感覚。自分と周囲との差に、居心地の悪さを感じていた。
そのまま挑んだ大学受験でも、試験会場で同じような居心地の悪さを感じた。当然受験した大学はすべて落ちた。「どこかしら受かるっしょ」という甘い期待はことごとく叶わなかった。
浪人して夏を過ぎたくらいになると、模擬試験や学力テストの時間が、いつの間にか「暇」ではなくなっていた。問題を理解し、どうすれば解けるのかがわかり、解くために時間を使えるようになってきた。あんなに苦痛だった試験時間が、充実した時間に変わっていった。それだけでもうれしかった。
「できない自分」と向き合う時間
試験やテストのなにが嫌かって、間違えることでも、点数が低いことでもない。試験時間中、ずっと「できない自分」に向き合い続けなければいけないことだとぼくは思う。
同じ問題をスラスラ解いている人がいる一方で、自分は問題文の意味すら理解できない。この現実を突きつけられる時間は、決して心地よいものではない。
こんな感覚になったのは、いつぶりだろうか。それこそ、高校や大学受験のころ以来かもしれない。久しぶりの感覚にどこか懐かしさを覚えた。
ただ、あのころと違うのは「長期的な視点を持てば、現実は変えられる」と、今のぼくは知っていることだ。
勉強でも、事業でも、またここから、長期的にコツコツと積み上げていこうと思う。

