今週は美容院に行った。

もうかれこれ5年以上は通っているだろうか。店主は自然体で、ふざけた冗談も言う、おもしろい人だ。ひとりで仕事をしている身としては、気さくに冗談を言い合える貴重でありがたい空間である。東京への引越が決まり、そのことを伝えようとした。

「実は今日、お知らせがありまして」

全部を言い終わる前に、店主は察してくれた。

「あ~そうなんですかぁ。実はいつそう言われるかとビクビクしてたんですよ。だって大谷さん、松本にいる理由がないじゃないですか。それはよかったじゃないですか。でも美容院は変えないでくださいね」

あら、周りからはそう見えていたのか、と思った。自分は「いつかいなくなる人間」だと思われていたのか、と。

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小さい頃、鬼ごっこで「みそ」という役割があった。鬼にタッチされても鬼にならない。いわば無敵の存在である。

まだ小学生に上る前のぼくは、兄たちやその友達の鬼ごっこに混ぜてもらうことがあった。そのとき、ひときわ小さいぼくは「みそ」として参加した。とても楽しかったのを覚えている。タッチされても「みそ!」と言えばいい。なんて素晴らしいルールなのだろう、と。

しかし、少し大きくなると見え方は変わる。鬼ごっこをやる側にとって、みそとは「いないも同然」である。タッチしても鬼が交代しないのなら、追いかける意味がない。あのときのぼくが楽しかったのは、みそでも追いかけてくれる心優しい人がいたからだ。みそなのに、わざわざ「タッチ!」とやってくれる人がいたからなのだ。

「みそ」は同じ場にはいるけれど、同じ遊びには入れていない。そのことに気づいたときに、自分は輪の外側にいるのだと認識したものだ。

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会社を辞めてからというもの、ぼくの立ち位置には、どこか「みそ」のようなところがあった。外部の人材、外からの関わり。「いつでも辞められる存在」であり、「いついなくなってもいい存在」とは、ちょっとした特別感は味わえるかもしれないが、同時に「輪の外にいる」という感じも味わうことになる。

組織のアレコレや人間関係のゴタゴタから距離を置ける自由はある。けれど、その「アレコレ」や「ゴタゴタ」のなかにこそ、人生の面白さや楽しさが詰まっているのかもしれない。

まあ、望まない鬼ごっこの渦中にいたら、それはそれで嫌なんだけどね。