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【今週の気づき/084】文化とこだわり

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今年の御柱祭(おんばしらさい)の「木落し」が中止になった。

コロナの感染防止に万全を期すための措置だという。御柱祭とは、長野県諏訪地方のお祭りで、7年に1度開催される。そのお祭りの最大の見せ場が「木落し」と呼ばれるもので、直径1m、長さ17mほどの巨大な丸太を小高い山の斜面を滑り落とす。その丸太に人が乗ったり、一緒に駆け下りたりする。危険をともなう場面であり、怪我人が出たり、重大な事故になったこともあるらしい。

2008年から長野県に住みはじめたぼくは、この御柱の話を聞くたびに、「なぜ生活に必要のないものに、こんなにも熱狂するのだろう。それも命をかけるくらいに」と不思議でならなかったのを憶えている。

文化とは

「文化とは、生活に必要なもの“以外”のすべて」

最近SNSでこんな言葉を見かけた。「なるほど、おもしろい定義をする人がいるものだ」と感心した。そして、身のまわりに目を向けると、日常は生活に必要のないものであふれていることに気づく。スポーツも、小説も、アルコール飲料も、カメラも、生活に必要かと言われたら必要ない。もっといえば、服も寒さをしのぐためだけだったらこんなにたくさんの色や形は必要ないし、食事だって栄養を取るためだけだったらこんなにもたくさん料理は必要ない。

しかし、これらが生活に必要ないからといって、なくなっていいかと言われればそんなことはない。生活に必要のないものが、国や地域、時代、他人との違いを作り出していて、その違いがおもしろさとなる。「違いが豊かさをつくっている」とも言える。文化はなくても生きられるのかもしれない。しかし、豊かに生きるには文化は必須なのだ。

御柱というお祭りも、木落しも、生活には必要のないものだけど、これが地域の文化であり、豊かに生きるためのイベントなのだろう。人は必要のないものに熱狂するのだ。

こだわること

今週でご依頼いただいていた企業の資料づくりが、8割~9割完成した。社長の思い、考え、価値観、これらがしっかりと伝わるよう練りあげたつもりだ。ぼくは人一倍「わかりやすさ」へのこだわりは強い。資料作成にあたり、スライドデザインの本を購入し、「わかりやすい資料」について勉強しなおしたし、アイコンを使って見た目のわかりやすさにもこだわった。進捗報告として、社長に資料をお送りすると「すごくわかりやすい」と喜んでもらえた。

一方で自分のわかりやすさへの必要以上のこだわりは、非効率とも言える。会社で今回と同じようにこだわった資料をつくれば、時間の使い方として注意を受けるかもしれない。注意されないまでも、周りの目を気にして、こだわりをもつことに対して躊躇する気持ちが出ているかもしれない。

しかし今回は、自分のこだわりをなんの躊躇もなく発揮できた。「わかりやすさ」への挑戦はたのしいものだし、時間がすぎるのも早い。豊かな時間だった。

文化とこだわり

文化とこだわりという一見関係なさそうな両者だけれども、「必要のないもの」というキーワードで見れば共通点がある。文化とは「生活に必要なもの“以外”のすべて」であり、こだわりとは「(仕事や任務の)遂行に必要なもの“以外”のすべて」とも言える。

文化と同様に、こだわりのポイントも人それぞれで違っていて、その違いが豊かさを生み出している。つまり、個人のこだわりとは、まさに「文化」なのだ。こだわりはなくても生きられるが、こだわりを捨ててしまったら豊かには生きられない。文化もこだわりも、豊かに生きるには必須のものなのだ。

豊かに生きるためには「必要のないもの」が必要だ。自分がどんな「必要のないもの」を求めるのか、その心の動きに目を向けながら生きていきたいものです。