あの人はなんでやらないのだろう。
あるプロジェクトにマネジメントとして入っていたとき、ぼくはあるメンバーに対してそう思っていた。「このプロジェクトには社会的意義があるのに、目標も定めてタスクもスケジュールも共有したのに、なぜあの人は動かないのだろう。やる気がないのではないか」
そして決してことばにはしないけれど、「仕事をしない人」と心のなかで思っていた。
口には出さなくても、思っていることは伝わるものだ。当然の帰結としてその人との関係は悪化していき、やがて話をすることすら難しくなった。最終的にぼくはプロジェクトを去ることになった。
そのときのぼくは、仕方のないことだと思っていた。どのプロジェクトマネジメントの本を読んでも、メンバー選定は大事だと書いてあった。とくに、やる気のないメンバーはよくない。多少スキルが劣っていても、やる気のある人を選定したほうがいい。そうじゃないと後で苦労することになる。いくつか読んだ本には同じようなことが書いてあった。
メンバー選定の権限は自分にはない。自分にはどうしようもできない。こういうことだってある。運が悪かったのだ。これを学びとして、今度からはメンバー選定には気をつけよう。そう思っていたのである。
マネジメントの考え方
今週、マネジメントに関する無料セミナーを受けた。そこで語られていたことは、ぼくにとって新鮮であり、また過去の痛みに対する解決策のようなものだった。
「組織(プロジェクト)の成果のためにメンバーがいると思うとメンバーは離れていく」
「メンバーがなりたい姿に向かって成長した先に、組織(プロジェクト)の成果がある」
「組織の目標達成を追うのではなく、メンバーの育成に目を向ける」
そのために「メンバーはすでに自分より能力がある」という前提に立つ。
これらはまさに、いまのぼくに欠けている観点だ。そして気づかされた。
”メンバーが悪いのではない。ぼくの考え方が間違っていたのだ。”
考えてみれば当然のことである。自分のことを組織やプロジェクトの成果のためのただの人員のように思われてうれしい人はいない。ぼくだって嫌である。でも仕事としてプロジェクト全体としての成果を求められたとき、そこにいる人たちを、プロジェクトの成果のための要員と見てしまいがちである。
でも逆に、自分の成長のこと、自分の将来のこと、なりたい姿に近づくためにどうしたらいいか、これらを考えてくれる人のことは好きになるものである。プロジェクトでは成果を出さなければいけない。でもそれはいったん置いといて、あなたのことを考えたい。そう言ってくれる人にはついていきたくなるものだ。
お手本とする人
会社員時代、尊敬する上司はメンバーのことを考えてくれる人だった。ぼくの成長を考え、成長するために仕事を割り振ってくれる人だった。(大変失礼ながら)当時はその方の能力が特別に高いとは思わなかった。それはきっと、その方がぼくの能力はすでにあるという前提に立っていてくれたからだろう。
その上司のもとで仕事をしたときがいちばん成長し、いちばん成果も出せた。そう、このマネジメント問題については、もうお手本がいたのである。こまったときは「あの人だったらどうするだろう?」と考えればいいのである。
同じ失敗を繰り返さないために
ぼくは勉強が好きなので、「失敗しないために学ぶ」ということに時間をかける傾向がある。これはこれで大事なことだと思いつつ、失敗しないための学びには終わりがない。学んだところで失敗だらけである。だからこれからは失敗しないための学びより、同じ失敗を繰り返さないための学びのほうが大事かなと思っている。失敗には痛みがあるけれど、痛みがあるから学びの吸収率もあがるのだ。
ということで、リードマネジメントという講習を受けることにしました。
https://achievement.co.jp/service/experience/lead_management
この講習で勉強したことは、どこかであらためて共有したいと思います。

本も読んで勉強します
