今週の気づき PR

【今週の気づき/090】恥ずかしさの時間軸

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小学校のアルバムを見返してみる。

運動会や遠足、日常の学校生活など、そこに写るのはまさに少年時代の自分である。そういえばこんな友達もいたな、運動会ではこんな踊りをしたなと思い出がよみがえり、「これがぼくの小学生時代ですよ」なんて人に見せたくもなる。

一方で、高校時代のアルバムとなると、そうはいかない。もちろん日常を映し出し自然に写っている写真もある。けれど、そのなかにまぎれて、ちょっと目立つためだったり、格好つけていたり、流行りのポーズをしていたりと、思わずアルバムを閉じたくなるような恥ずかしさを感じる姿がそこにある。ぼくの高校時代を知らない人に「これがぼくの高校時代ですよ」と見せるのにかなりの抵抗がある。

そのときは恥ずかしいとは少しも思わずにやっていたことでも、あとから見てみると恥ずかしいことがある。格好つけているとか、ちょっと無理して自分をアピールしているとか。そんな風にまわりの目を気にしている姿が、あとから見たときの恥ずかしさにつながっているのだろう。

「恥ずかしさ」の時間軸

恥ずかしさを目の当たりにすると、「もう恥ずかしい思いをしたくない」なんて気持ちにもなる。自分を律して、恥ずかしさとは距離をおきたくなる。あまり無理はせず、なるべく平常心で過ごそうと、「恥ずかしさ」を避けるために、自分の行動を制限してしまうことだってある。

しかし、ここで注意したいのは、「いま」恥ずかしいのか、それとも「将来」恥ずかしくなるのかという時間軸だ。「いま」恥ずかしく思うことは、あとから振り返ってみると案外「よくやってたな」と思うこともある。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

なんてことわざがあるみたいに、避けたいのは「将来」感じる恥ずかしさなのだ。

動画撮影

今週、自己紹介動画を撮影した。ぼくが個人的にコンサルを受けている、くるみさわしずえさんのサービスである『動画制作サポート』を手伝っていたときのことだ。もともとぼくの動画を撮る予定はなかったけれど、撮影の合間に「大谷さんも撮ってみない?」と言っていただき、勢いで撮影した。きっかけはノリであったけど、撮影自体は真剣に撮ったものだ。

何度も撮り直し、何度も台本を書き換え、何度も動画に映る自分の姿を観ながら、声の調子や姿勢を修正した。OKの出せるものを撮るまでに、10回のテイクを重ねた。

もちろん自己紹介動画を世のなかに晒すことは、恥ずかしい。現時点ではやっぱり恥ずかしい。しかし「いま」の恥ずかしさは、自分を晒す意味での恥ずかしさだったり、素人感満載で見栄えしない、という意味での恥ずかしさだったりする。しかし、この動画を数年後や十数年後に見直して、恥ずかしいと思うのかと考えると、思わないような気もしている。

そんなふうに思えるのは、見栄えを装うために変に格好つけず、自分の精一杯を出せたからだろう。真剣に、真面目に取り組んでいれば、たいていの場合、「あのときはよくやっていたな」と思うものだ。

新しいことをはじめれば、恥ずかしさを覚えることだってある。でもいいんですよ、あとから見て恥ずかしくなければ。いまの恥ずかしさは一瞬で終わるのですから。


今週のいちまい

動画の撮影をしたホテルの35階からの景色です。高いところに行くと、自然と俯瞰して考えられるようになりますね。視点を変えるために、たまには高いビルから景色を見るのもいいものです。


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