【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したものである。
『びりっかすの神さま』(岡田淳・偕成社文庫)という児童用の小説を読んだ。児童小説と舐めて読んでいたが感動してしまった。この小説のテーマは「競争」である。著者あとがきに以下のように書いてあった。
学級の中の競争というのは、本気になるだけのねうちがあるものなんだろうか。学級って、競争するところなんだろうかー。そんなことを考えているうちに、びりっかすさんは、ひょいとうまれてきたのです。
競争することの意味はなんだろうか。そもそも競争とはなんだろうか、と考えさせられる作品である。ということで、今回は「競争」について考えてみた。
あらすじ
4年1組に転校してきた木下始は、転校初日に教室で小さな透き通った男が飛んでいくのを見る。背中には小さな翼が生えている。翌日その男がクラスで最低点をとったもののところにやってくることを知る。このクラスでは担任の方針で座席が成績順で並べられ、子供たちは常に競争させられていた。
小さな男と話ができるようになった始は、男がこのクラスの競争の中で、びりになってしまった子の気持ちが集まって生まれたことを知る。この日から始は彼を「びりっかすの神様」と呼ぶ。びりっかすが見えるのはびりになったときだけ。始はびりっかすに会うために、わざとびりをとるようになる。
ある日、始と一緒にびりになったみゆきという女の子がびりっかすを見れるようになる。そしてびりっかすが見れるようになった始とみゆきは、びりっかすを通じて心だけで会話が出きることがわかる。始とみゆきはびりっかすの輪を広げるため、他の子と一緒にびりをとる作戦を始め、ついにはクラス全員がびりっかすを見れるようになる。
そんな中、運動会の日が近づく。目玉種目である学級対抗全員リレーに本気で臨むべきか、わざとびりになるべきか、子供達は真剣に話し合うことになる。
競争を疑う
物語の中で、リレーに真剣に取り組むかについて話し合っているとき、隣のクラスの4年2組にいる生まれつき足に障害がある子の話題になる。その子がいるから2組はいつもびりだった。普通に走れば2組に勝てる。でもその2組に勝って嬉しいのか?
するとある男の子も話し出す。
「俺は計算や漢字をいくら一生懸命やっても5~6点(10点満点)だ。でもおまえは一生懸命やってなさそうに見えて10点取る。おまえは俺に勝って嬉しいのか?」
僕はこの男の子の言っていることが気になった。なぜこの子は急にリレーとは関係ない話をし始めたのだろう。なぜ著者はこの男の子のセリフを登場させたのだろう。
競争するには競争軸(ルール)が必要だ。競争軸は競争する「条件」と評価する「指標」で構成される。学校の中では、条件は国語や算数などの科目であり、指標はテストの点数である。リレーでは、条件は決められたコースでバトンを次の走者に渡すことであり、指標が順位である。問題はこのルールが何によって決められたかだ。
テストの内容が「虫の種類を言える数」であれば、この男の子は優等生とされたかもしれない。運動会の競技が「人を笑わせる競争」であれば、足に障害がある子は1番だったかもしれない。優劣は競争の条件によって大きく変わるもの。条件にたまたま合った子は優等生と評価され、たまたま合わなかった子は劣等生と評価されているだけなのだ。
この男の子はきっと、2組の足に障害がある子と自分は同じだと言いたかったのだ。自分たちは苦手なことで勝手に競争させられているのだと。他人に決められた、当たり前のようにある競争に疑いを持ったのだ。
他人が決めた競争軸で競争しない
大事なのは他人が決めた競争軸で競争しないことなのだろう。思えば僕は他人が決めた競争軸で競争することに慣れてしまっている。テストや受験、会社での評価はその代表かもしれない。これらの評価は一面的でしかなく、一面的な評価でその人自身の価値は決まらない。人間は思っている以上に多面的なのだ。だからもし自分が競争の中にいると感じたら、その競争を疑ってみるといい。疑うことで他人が決めた競争軸から離れるきっかけになる。そして少しずつでいいから自分の元に軸を取り戻すのだ。
ほんの少しの行動
自分の軸を取り戻すには自分が得意なことや好きなことを起点にするのがいい。そのためには日常を振り返り、自分の得意なことや好きなことを確認する時間を短くてもいいから定期的に取る必要がある。確認できたら、得意や好きを活かすための行動をほんの少しだけやってみる。他人が決めた競争軸での競争から距離を取るために、自分の得意や好きの確認と、ほんの少しの行動。この繰り返しを自分のペースでやってみることにする。