これもカラーバス効果のひとつ、と言えるのかもしれない。
(カラーバス効果とは、特定のことを意識し始めると、日常の中でその特定のことに関する情報が自然と目に留まるようになる現象のこと)
最近は写真を勉強するために、一眼レフカメラを持ち歩いている。ぼくが新しくはじめるサービス『ものづくりの裏ものがたり』は、「企業の挑戦にエンジニアとして加わりつつ、その様子を発信していくもの」だ。この発信に写真もあったほうがいいだろうと、写真を勉強するために一眼レフを持ち歩いている。
カメラを持ち歩いていると、これまでなにげなく通り過ぎていた眼の前の光景に、意識が向くようになる。「なにか撮れるものはないか」と、まだ見ぬ「なにか」を探すようになるのだ。そしてその「なにか」は、身の回りにもたくさんあることに気がつく。
面倒だからときめく
何年かまえに、あるテレビ番組で「なぜ大人になると1年があっという間に過ぎるのか」について取りあげられていた。番組内で述べられていた理由は、「トキメキがなくなるから」であった。時間の感じかたは、心がどのくらい動くか、つまり心の動く頻度や振れ幅で変わるのだという。
なにかを食べるにしても、どこかに行くにしても、子供ははじめての経験が多い。はじめてだからこそ、ものごとをよく観ようとするし、よく感じようとする。だから子供は「驚き」や「発見」といったトキメキにたくさん出会える。一方で大人は、食べるにしても、出掛けるにしても、身の回りに起こることはたいてい、すでに経験した範囲にとどまる。これまでの経験でわかるから、目の前のことを感じようとせず、ただの作業になってしまう。だから大人はトキメキが少なく、時間があっという間にすぎる。そんな内容だったと思う。
さて、カメラを持ち歩いて探す「なにか」とは、自分の心が反応するものだろう。つまり自分の中のトキメキを観ようとするのだ。これはスマホのように簡単にポケットに入るものではなく、首からぶら下げたり、手に持ったりしなければならない一眼レフだから生じた感情だ。手荷物のひとつとなるくらいの存在感があり、持ち歩くわずらわしさや面倒くささがあるから、「撮らないともったいない」とか、「なにかあるはずだ」と、そう思うのだろう。わずらわしさや面倒くささが、トキメキを観ようとする姿勢につながっている。
時間に対抗する
日常へのトキメキの感度を高めるもの。それはきっとこのコラムもそうだろうなあ。書くことはわずらわしくもあり、とても面倒くさい。負荷だって相当なものだ。けれど、書くことではじめて出来事をよく観ようとするし、心の動きにも敏感になる。書くからこそ、日常の出来事が新しい発見に変わる。このコラムも、日常のトキメキの感度を高める装置として、役割をはたしているのだ。
思いかえしてみると、コラムを書きはじめる前(2年前)は、遠い昔のようにも感じられる。「ああ、あのときって2年前だったっけ。もっと昔のように感じていた」なんて思うのだ。
写真をとること。自分の体験を記すこと。これらは自分の心を動かす「なにか」に目を向けることであり、そのなにかは目を向けさえすれば意外と身近にあるものだ。カメラを持ち歩くこと、書くことは、あっという間に過ぎていく時間に対抗できる、効果的な手段なのだ。
↑ぼくが使っているカメラは、コレの古いバージョン