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【今週の気づき/118】自律、ときどき偶然

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1日の時間割りを30分刻みでつくる。

これはいまぼくが習慣にしていることだ。タスクを30分単位になるくらいまで分解し、そのタスクを30分刻みで手帳に書いていく。これは特に退職後に意識してやっている習慣だ。1日を効率的に生きる。1日でできることを最大にする。もちろんそういう意図もあるけれど、一番大きな目的は自分を責めないためだ。

時間割をつくる理由

人は自分の力を過信する。1日でできることを多く見積もってしまう。だから、計画も時間割りもなしに1日を過ごしてしまうと「今日はやりたいことがほとんどできなかった」「ほとんど何もしてないのにもう夜になってしまった」みたいなことが起こる。

けれど、時間割りをつくってみると、1日のうちに自分のできることなんて少ないことがわかる。「お前、1日でできることはこのくらいだぞ」「ほら計画してみたらこれくらいしかできないだろ」を確認するために時間割りを立てているのだ。つまり、余計な自己嫌悪を防ぐためというのが時間割りを作る一番大きな目的だ。

1日の時間割りを毎日つくっていると人に言うと、「すごいね!」と褒められることもあるけれど、ぼくにとって時間割りは自己防衛のためのものなのだ。逆に言えば時間割をつくらずに1日を過ごせる人は強いなあとさえ思う。

偶然性への欲

こういう生活をかれこれ1年以上続けていると、最近は少し違った感覚もでてきている。

計画づくりには、一日でできることを確認したり、迷いをなくしたりといった効果がある一方で、計画に縛られてしまうリスクがある、というものだ。

たとえばいまの季節、紅葉がきれいである。車で移動しているときに山の紅葉が見える。昼間に移動できる身分になったのはいいものの、それでも紅葉がきれいだからといって、仕事を放り出して山に向かうことはない。仕事が頭をちらつくのもあるし、自分でつくった時間割りもある。時間割りをつくると、偶然に身を任せにくくなる。せっかくこの時代に生まれて、せっかく信州にいるのに、すこしもったいないような気もする。自然を味わうことが生きるということではないか、と思うことさえある。

自律がないと事は進まない。一方で偶然がないと、自分の枠は超えられない。自律したい欲と、偶然を欲する気持ち、どちらも自分のなかに内在しているのだ。

自然という偶然性

今週、外出ついでにふらっと美術館によってみた。平日の美術館は人も少なく静かである。静かな環境でなら読書が捗るかと思ったけれどなんとなく落ち着かず、近くの河原に場所を変えて本を読んだ。河原のほうが落ち着いたのだ。

美術館よりも河原がよかったのは、ランダムな川の音やときおり吹く風、雲の移動で変化する日光などの偶然性があったからだろう。

ひとりでやる仕事はとことん自律である。だが、自律だけでは偶然を欲する気持ちが満たされない。生活のなかに偶然性を取り入れるためにも、偶然をつくる時間、みたいなのを時間割りに入れてみようかな。自律のなかに偶然を入れる、みたいな。

なんてことを考えているうちは、ぼくはまだ完全に偶然に身を任せられないんだろうな。


今週のいちまい

平日昼間の美術館は明るく、静かな場所ですね。


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