「行動力」はどこからくるのだろう。
「行動力のある人が成功する」「行動しないとなにも起こらない」と言われる。とくに会社を辞めてから「行動力」という言葉に触れる機会が増えたと感じる。では行動力とはなにか。行動できている人とできていない人との違いどこにあるのか。ぼくは自分自身を行動力があるとも、ないとも思わない。行動できるときもあればできないときもある。その違いはなんだろうか。少しだけ考えてみよう。
協業の提案
今週、エンジニア派遣をしている企業の社長さんに、協業の提案をする機会があった。その会社のことは4年前にSNS上で知り、「変わった会社だな」とずっと興味を持っていた。たとえば、他社ではエンジニアの引き抜きを禁止する契約を派遣先と結んでいるのに対して、この企業は契約条項に入れず、むしろ引き抜きを奨励していることや、マージン率を公表するなど、業界の常識にとらわれない姿勢をSNSで示していた。
ではなぜその会社と打ち合わせの機会をいただけたのか。それは自分がSNSからDMを送ったためである。現在の自分の活動に停滞感を感じているなかで、この停滞感を打破するためのひとつのアイデアとして、DMを送ったのだ。
DMを送るには勇気が必要である。なぜなら、断られたり拒絶されれば痛みを感じるし、怖れもある。精神的なリスクが高い行動でもある。わざわざ取らなくてもいいリスクを取ることには、やっぱり躊躇する気持ちが出る。
■責任転嫁の効用
このときに有効なのが責任転嫁である。
責任転嫁とは一般的には自分以外の誰かに責任を押し付けるものだけど、そのときのぼくは過去の自分に責任を押し付けていた。
あのとき、あいつ(過去の自分)がDMを送ると決め、いまの自分に命令しているのだと。自分はただそれを実行しているだけだと。自分はあいつの命令に従うだけであり、なにが起こったとしてもあいつの責任なのだと。そう思い込んでメールの文面をつくっていたのである。
思い切ったことをやろうとしても躊躇してしまう。その原因は責任の重さにあるのだろう。結果を重く考えてしまうから、一歩が出ない。だから行動するには責任を軽くしなければならない。その有効な手段のひとつが責任転嫁なのだと思う。
先日のプロ野球クライマックスシリーズで登板した佐々木朗希投手がインタビューでこんなことを言っていたという。
「結果は監督のせいにして、自分のベストを尽くすだけかなと思って投げた」
責任を背負うことは尊いことではあるけれど、その責任によって行動ができなくなったり、思い切ったことができなくなるのでは意味がない。責任を手放すことで、行動しやすくなるのである。
行動するためには、責任を誰かに(あるいは過去の自分に)転嫁してしまえばいいのだ。
■チャンスは意外とある
さて、提案のプレゼンは思ったよりも受け入れてもらえ、今後もう少し具体化させていく流れになりました。チャンスは待っていてもなかなか訪れてくれないけれど、行動した先には意外とたくさん転がっているものかもしれないですね。
自分が行動するには責任転嫁が有効であるように、誰かの行動をサポートしたいと思ったとき、責任を背負ってあげるのもやっぱり必要ですね。
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