「自分の孤独を癒やすには、他人の孤独を癒やすしかない」
これは、前回のブログを更新したときに、安田佳生さんからもらったコメント。さらに「お金や権力で人を集めても孤独からは抜け出せない」とも説明してくれた。これを読んだとき、「まさに!」と膝を打った。確かに実感として孤独を感じないときは、誰かの役に立てているときや、誰かに寄り添えているときだったりする。誰かの孤独を癒やせたときに、自分の孤独も一緒に癒やされる。本質的に解決するにはこの方法しかないのだろう。与えるから与えられるのだ。
ということで、今週は「与えるから、与えられる」について考えてみた。
世の中の法則
この、人を癒やすから自分も癒やされるという法則。同じことが他にも言えるのではないか。たとえば、以下のように。
人を楽しませると、自分も楽しくなる。
人を喜ばせると、自分の喜びになる。
人の学びを支援すると、自分の学びになる。
人を幸せにすると、自分も幸せになる。
人を稼がせると、自分も稼げるようになる。(これも安田佳生さんの言葉)
学生の頃、他校の学園祭に参加してみたときには「開催している人たちのほうが楽しそうだな」なんて思っていた。学びに関しても、勉強会を聴講するよりも、開催するほうが、多くの学びが得られる。マッサージでも、マッサージをする側のほうが幸せホルモンが分泌されるらしい。僕は自分で稼いだ経験が少ないが、稼ぐことに関してもきっとそうなのだろう。
このとき、注意が必要なのは、Give and Takeではないこと。つまり、相手を楽しませたからといって、相手が自分を楽しませてくれるのではない。相手を楽しませることで、自分の楽しさが自然発生することだ。見返りや、Takeではなく、自然と手に入る。これが世の中の法則なのだろう。
始まりは自分の欲求で良い
自分が喜ぶために、人を喜ばせてみる。
自分が稼ぐために、人を稼がせてみる。
自分が幸せになるために、人を幸せにする。
こう言うと、
「自分の欲求のために、人を利用するのか」
と思われるかもしれない。でも始まりはそれでいいのだと思う。まずは自分のためでいいので始めてみる。自分のやり方で続けてみる。続けているうちに、人は手段が目的に変わる。自分のために始めたものが、いつの間にか人のためになっている。手段が目的化したときに、気づけば与えられている。
そんな気がするのだ。