今週の気づき PR

【今週の気づき/047】手応えの価値

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

先週、カメラ屋さんにカメラを見に行った。

僕は光学設計を専門にしているけど、カメラには詳しくない。レンズに関する言葉、例えば焦点距離だとか、Fナンバーとか、被写界深度といった言葉の意味はわかるし、その数値感覚もあるのだけれど、カメラそのものについては専門外だ。だから「どのカメラがいいの?」と聞かれても、答えられるのはネットに載っている情報くらいであり、「レンズやってるのにわかんないんだね」なんて顔をされたことも何度かある。

ところが最近、SNSなどで「SIGMA fpがいいぞ」という記事をいくつか見て、「やっぱり写真っていいな」って思い始めている。SIGMA fpは値段が高くて、とても手も足も、ポチッとする親指も出ないのだけど、「いい写真が撮れるようになると、日常が特別になるんじゃないか」なんて思ってカメラが欲しくなっている。7年前くらいに子供を撮るために買った一眼レフは、離れて暮らす妻が所有しているので、僕個人としても1台持っておいていいのではないか。そう思っていたところ、友人もカメラを見たいと言うので一緒にカメラ屋に足を運んだのだ。

カメラの手応え

欲しいと思っていたのは、ミラーレスカメラと言われるもので、一眼レフのコンパクトバージョンみたいなもの。一眼レフは、カメラの内部でファインダー(覗くところ)へ向かう光路とセンサーへ向かう光路が、ミラーを45度動かすことで切り替えられるような構造をしている。一眼レフの“レフ”はミラー(リフレクター)のことだ。このミラーがないバージョンがミラーレスカメラであり、ミラーがない分だけコンパクトに作られている。

ミラーレス一眼(左)と一眼レフ(右)の構造の違い(引用元:https://www.tetsudo.com/report/291/

ミラーレスカメラを検討しているときに、一番気がかりだったのは、写真を撮るときの「手応え」だ。一眼レフでは、シャッターを押すと、「カシャッ」というカメラ独特の機械音があり、同時に振動が手に伝わる。この音と振動が、カメラマンになったかのような、いかにも写真を撮ってますというような、カメラで世界を切り取るときの手応えになっている。

ミラーのないミラーレスカメラでは、当然ミラーが動くことによる音と振動はない。だから、あの手応えがないのではないか。それは寂しい。音と振動があるから面白いのだ。カメラを買ったとしても、手応えがなければ飽きてしまうかもしれない。

そんな心配をしながら、店員さんに「ミラーレスはカシャっていう音や振動は無いんですよね」と聞いてみると、「ミラーレスでもありますよ」との答え。「試してみますか」と言うので試してみると、たしかにミラーレスでも、「カシャッ」という機械音と手に伝わる振動があるのだ。

これはあとから調べてわかったことなのだけど、一眼レフでもミラーレスカメラでも、カメラ内部にメカシャッターというものが入っているらしい。一眼レフではミラーとメカシャッターの動作が、ミラーレスカメラではメカシャッターの動作が、写真を撮るときの音と振動となり、カメラの手応えになっている。

手応えの価値

手応えは大事だ。と思う。学生時代やっていた野球で打ったヒットの感触は今でも覚えているし、釣りでは魚が掛かったときの手応えは喜びそのものだ。バッティングの目的はヒットを打つことだけど、もし、ボールをバットの芯で捉えても、詰まらされても、同じ手応えだったらつまらないだろう。釣りだって、魚が掛かったときの手応えがなければ面白さは半分以下だ。手応えがあるから面白いし、手応えが楽しい記憶として体に染み付いている。

カメラも今後はセンサーの技術進歩で、メカシャッターもいらなくなるのだろう。現に冒頭に書いたSIGMA fpは既にメカシャッターが入っていない。車も電気自動車になり、エンジン音と振動がなくなるように、技術進歩によって、今ある手応えは無くなる方向に進んでいく。

きれいな写真を撮るならiPhoneで十分。移動であれば電気自動車がコスパがいい。結果や効率を考えればそうなのだろう。しかし、結果や効率だけを考えるほど、過程の楽しさが減ってしまう。

写真を撮る過程。移動する過程。過程を楽しさに変えるには、「手応え」が重要な要素になる。手応えが無くなっていく時代だからこそ、手応えをあえて残すこと、手応えを付け足すことに価値が出るのだ。