まだ社会人になりたてのころ。
外部の取引会社との打ち合わせがあった。ぼくにとって外部会社とのはじめての打ち合わせであり、そこにはもちろん主担当としてではなく、議事録係としての出席ではあったけれど、いかにも「社会人」感があり、その場でどのような会話があり、商談はどうやって進むのか、興味津々だった。
その会議の場を支配していたのは「駆け引き」のようなものだった。当時の上司はハッタリをかましたり、あるいは言葉を濁して情報を開示しなかったりと、自分たちに有利な条件をいかに引き出すかを考えているようだった。少しでも安く仕入れて、少しでも高く売る。仕入れ値と販売価格の差が大きいほど利益はあがる。単純な計算だ。
それを見ていた当時のぼくは「やっぱり利益を出すのって駆け引きなんだなあ」「社会って大変だなあ」「厳しい世界なんだなあ」なんて思っていた。
ところが数年後。
部署異動で配属された先の上司は、今までの上司とは真逆だった。協力会社に対して、情報を隠すなんてことはまったくしない。言葉を濁してもいいような質問にも正確な情報を伝える。販売予想数も正直に伝え、その上でどう利益を確保するかについて一緒に考える。内情も伝えるし、なんなら今一番の困りごとという弱みも開示する。
この対応を見たとき、ほっとしたというのが正直なところだった。社会というのは厳しいところだと感じていたけれど、こうあってもいいのだと思えた。自分の目指す「あり方」を示してくれたようで、安心したのだ。
「つくり出す」打ち合わせ
今週、先週のコラムで書いたIT企業の担当者の方と打ち合わせをした。そこで語られたのは、ぼくに声を掛けてくださるまでの社長とのやり取り、事業の課題と方向性、新事業についてなど、社内の内情に加えて、今後やっていきたい方向性などについても隠さずに話してくれた。
「お客さん(企業)の事業成長のために価値を提供したい」
「お客さんと、大谷さんと、うちで、Win-Win-Winとなるようにしたい」
「そのためのメニューを一緒に考えていきたい」
「どうやってお客さんに価値を提供するか」
「ゆくゆくはどうやって仕組みに落とし込むか」
語られたのは、どうつくるかであり、どう利益を分配するかという駆け引きめいたものはまったくなかった。
分配か、創出か
駆け引きが善いとか悪いとか、そういう話ではない。考え方の違いだ。
駆け引きが行われるとき、たいていの場合は、「利益をどのように分配するか」を決める場面だろう。ビジネスで言えば、市場規模が限られているのだから、利益も有限であり、そのなかで自社の利益を増やすために駆け引きをする。駆け引きとは「限りある」という考えが前提にあるのだろう。
一方で駆け引きの対局にあるのは、つくり出すという考えだ。小さくても新しい市場(価値)をつくり、利益自体を増やす。自社も取引企業も利益が増えるように協力する。そのために、情報は隠すことなく、最大限開示する。限りあるものを分配するのではなく、つくり出すのであるから駆け引きは必要ないのだ。
ぼくは「駆け引き」が苦手である。できれば駆け引きからは距離をおきたいと思う。そのためには、何かをほしいと思ったとき、手に入るものは限られていると考えず、つくり出せるという前提に立つのが大事なのだろう。もちろん、現実的には世の中のものは有限だ。時間も人も資源も、宇宙にだって限りはある。そうであったとしても、限りがあると考えるのではなく、つくり出せるという前提に立つこと。これが駆け引きと距離をおくための方法だし、目の前の相手を敵とせず、協力者とする考え方なのだ。
まずは見積りから
最近は少しずつ、お仕事の依頼も増えてきているし、やりたいこともあり、忙しくさせていただいています。
まだまだ見積りを出すのは慣れないけれど、慣れないのはきっと「駆け引き」の要素を自分に感じているからなんだろうな。
見積りとは、限りあるものを分配するための駆け引きではなく、つくり出す価値の価格であり、ある意味では覚悟を数値化したものでもある。
そう思えれば、見積りを提出する苦手意識もすこし和らぐのかな、なんて思っています。
今週のいちまい
ブルーベリーの支柱として使っていた木の枝から芽が出ていた。この芽はどう育つのだろう。ブルーベリーもたのしみだけど、芽がどう育つのか見るのもたのしみ。
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