今週の気づき PR

【今週の気づき/112】懐かしさについて

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開け放たれた窓の外から、たくさんの子どもの声援が聞こえる。

ぼくの住むアパートは保育園に隣接していて、この時期になると運動会の練習がある。小気味いい音楽や子どもたちの声援、先生がマイクで話す声が聞こえてくる。そしてそれを聞くと「懐かしいなあ」と思う。「そういえば息子も、運動会に出ていたなあ」と。

ということで今週は「懐かしさについて」考えてみた。

高校時代

懐かしいと言えば、今週、外食していたときに高校時代によく聞いていた曲が流れているのを聞き、「懐かしいなあ」と思った。高校時代のことを思い返し、その時の記憶がよみがえってくる。頭はすっかり17歳の頃の自分に引っ張られていった。

「音楽を聞きながらバス通学したよなあ」「部活帰りによくこの曲を聞いていたよなあ」曲を入り口に、高校時代の野球部のこと、学校での出来事を思い出す。部室に集まりバリカンで頭を刈ったこと。同級生が間違えて5厘刈りにして死ぬほど笑ったこと。試合中にエラーしたときのこと。きっつい練習をどう乗り越えるか悪知恵を働かせたこと。懐かしい思い出ばかりである。

懐かしさとは

では、なぜそんなに懐かしくなるのだろうか。その懐かしさはどこから来るのだろうか。

それは、昔は確かにそこにあったけれど、今はもう手にしていない「なにか」があるからではないか。

たとえば学生時代、この先なんの役に立つのかわからない野球に、あんなにたくさんの時間と情熱をささげていたこと。あとさき考えずに好きなことに熱中できていたこと。部活帰りにマクドナルドで何時間もくだらない話をしたこと。あるいは、ヒットを打ったとか、エラーをしたとか人生においても世の中にとっても大した影響のないことに一喜一憂していたこと。

今の自分なら、なんの役に立つのかわからないことに、あんなに時間と情熱をささげられない。凡打したくらいで落ち込んでいたらやっていけない。でも昔は確かにそんな時間があった。今は手にしていないもので世界が満たされていた。今と昔の対比や違いに、懐かしさを感じているのだ。

懐かしいとは、ただ単に昔を思い出しているのではない。たとえば、生意気さであったり、向こう見ずさだったり、純粋さのような、昔は持っていたけれど歳を重ねるうちにいつの間にか手放したものに、思いを馳せている状態なのだろう。

未来視点での懐かしさ

9月も終わり、退職してからちょうど1年が経った。

1年前、会社以外での稼ぎがないにもかかわらず、「会社員以外で生きる道を歩みたい」「個人で稼げるようになってみたい」という理由で会社を辞めた。そしてこの1年、お金をいただく大変さも、ひとりでいる孤独感も、納品して喜んでもらえたときの感動も、助けてくれる人の温かさも、会社を辞める前にはなかった感覚を味わいながらどうにか生きていけている。

こんな状態の今も、数年経ったときにはきっと、懐かしむことになるのだろう。それはきっと、数年後には手から離れているなにかを、今はきちんと味わえているということなのだ。

生きていれば、大変なこともある。苦しいときもある。もうダメかもしれないなんて思うこともあるかもしれない。そんなときこそ、数年後の未来から今の自分を眺めてみるといい。未来の自分から今の自分を見たとき、懐かしいと思えそうならば、それはあなたが「今しかない瞬間」を生きているということであり、あなたが今もなお変化し成長している証拠でる。

今を懐かしめるように生きることこそ、今を生きるということなのだ。


今週のいちまい

アパート近くの神社がお祭り仕様になっていた。お祭りってなぜだかわからないけどワクワクしますよね。


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