「忙しいとは、心を失っている状態である」
と言われることがある。日々の喜びを感じられない、気づく余裕がない、そんな状態を指すのだと。しかし、これは本当なのか。同じ状態でも「充実している」と感じる人もいる。この両者の違いはなんだろうか。今週は、「忙しい」を「充実」に変えるものについての気づきです。
忙しいと感じる週
最近は少しだけ、忙しくさせてもらっている。企業理念策定、プレゼン資料作成、コラム執筆、プロジェクト推進という4つの異なる仕事が重なり、またプライベートでも人と会う予定があったりと、めずらしく「忙しい」という言葉をつかってもいいくらいに、忙しい。たまたま重なっただけではあるけれど、それでもなんとかがんばってやっている。
その一方で、日課としていたことができていない。毎晩やっていた「フリカエリとプラン会」、コミュニティで発信していた「3行日記」、寝る前にノートに書いていた「9行日記」、これらができずにいる。忙しいのだからある程度はしょうがない、と思いつつも、日々を過ごすなかで空虚感が広がることもある。地に足がついていないような、なんだか満たされない気持ちになるのだ。
「忙しい」を「充実」に変えるもの
「忙しいという字は、心を亡くすと書く。だから忙しいとは心をなくした状態なのだ」と言われることがある。心をなくした状態とは、心が動かなくなることだろう。日々の小さな良いことや、ちょっとした喜びに、心が反応しなくなることだろう。忙しいから些細なことに気づいていられない。もう次の予定が迫っているから喜んでいられない。いちいち心を動かしていたら目の前のやるべきことが進まないのだ。
一方で、同じように仕事が重なっていても、それを「充実」と感じる人がいる。「充実」とはまさに心が満たされている状態であり、「忙しい」とは真逆の印象をもつことばだ。この違いはなんだろうか。単に、ポジティブかネガティブかの違いなのだろうか。
自分が忙しいから良いことに気づかないのだと思い込んでしまうのは一般的な考え方だ。しかし、この考え方は正しいのだろうか。「良いことがあるから笑顔になるのではなく、笑顔でいるから良いことが起こる」なんて言われるように、実は「忙しいから良いことに気づかない」のではなく、むしろ「良いことに気づかないから忙しいと感じる」のではないだろうか。
いま、ぼくが忙しいと感じているのは、仕事が重なったからではなく、フリカエリや日記ができていないからかもしれない。日々の小さな良いことや、ちょっとした喜びを振り返って感じる、少しの時間を削っているからかもしれない。
忙しいと感じるときほど、5分でいいから日々の小さな良いことを思い返す「振り返り」や「日記」が必要なのだろう。振り返ることで、放っておいたら流れて消えてしまう良いことに気づける。そして、その気づきを日記に書くことで心に留め、満たされた時間を味わえる。日記というアウトプットは「忙しい」を「充実」に変える小さな行為なのだ。
振り返る習慣
習慣とは、やっているときには「良い効果」を実感しにくいものだけど、やめたときにその大切さがわかるものですね。ということで、「フリカエリとプラン会」、「9行日記」を再開したいと思います。

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