あれは小学何年生のことだっただろう。
夏休み。小学校ではプール開放がある。平日の、たしか学年ごとに区切られた時間で、学校のプールに入れる。参加は自由。行ってもいいし、行かなくてもいい。行けばプールカードに判子を押してもらえる。プールカードとはB5サイズの厚紙にカレンダーのように日付のマス目が描かれたものだ。行った日付のマスに判子が押されるのである。
その年のぼくは、夏休みのプールに全部行くと決めていた。このプールカードのマス目すべてを判子で埋めると決めていた。それはなぜか。
理由は前年にさかのぼる。前年の夏休みのプール最終日。プールの入口でぼくの前で判子を押してもらっている子がいた。その子が判子を押している先生に「あら、皆勤賞じゃない」と声をかけてもらっていた。よくみるとその子のプールカードのマス目はすべて判子で埋まっている。つまりその子はすべての日にプールに参加していたのだ。
当時のぼくは皆勤賞ということばを知らなかった。「かいきんしょう」という響きに、なにかものすごくいいものがもらえるのではないかと思った。「かいきんしょう?」「かい? きん? 賞? 表彰される? メダルとかもらえる? それほしい!」となったのだ。
次の年の夏休み。ぼくはなにがなんでも「かいきんしょう」をもらうのだと心に決めていた。
雨が降ろうが槍が降ろうが関係ない。まだ見ぬ「かいきんしょう」をもらうためにはなにがなんでも行く。怪我をしようが、熱を出そうが、かいきんしょうをもらうのだ。
実際に1日だけ、すごく寒い雨の日があった。どう考えてもプールに入る気候ではない。プールは屋外であり、授業のプールであれば中止にする天気である。それでもぼくは迷いなく傘を持ち、家を出た。行かないという選択肢はないのだ。
学校についてみると、当然のようにだれもいない。自由参加のプールに、こんな寒い雨の日に誰か来るわけがない。先生だってプールを開くのは嫌だろう。中止の空気が漂っている。中止になったらプールカードの判子は押されない。そうしたらカードをすべて判子で埋めることはできなくなってしまう。「かいきんしょう」だってもらえないだろう。なんとかプールに入れないか。そう心配していたとき、別クラスのYくんが傘をさしながら現れたのだ。
先生はぼくたちにプールに入るかどうか聞いてきた。ぼくは当然入りたいということを伝えた。Yくんはどちらかというと帰りたいような感じもあったけど、ぼくはゴリ押しした。「入ろうよ! ね!」
先生は「寒いけど、入りたいというのなら」とぼくたちふたりだけのためにプールを開けてくれた。判子も押してくれた。
広い学校のプールにふたりだけである。Yくんと「寒いね、寒いね」と言い合いながら、泳いだり、宝探しをしたりして過ごした。プールに入る前のYくんはあまり気が進まない様子だったけど、プールに入ったら気分が上がったのか、はしゃいでいた。きっとふたりだけでつかうプールが楽しかったのだろう。ぼくはというと、プールに入りたいというより判子がもらいたかっただけなのだから、プールはどっちでもよかった。寒いし雨だし正直早く上りたかったけど、Yくんのはしゃぎっぷりに引っ張られて、いつの間にかぼくも一緒になってはしゃいで遊んでいた。
さて、待ちに待ったプール最終日。ぼくはうきうきしていた。今日行けばプールカードの残りひとつの枠に、判子が押される。マス目のすべてを判子で埋めることができる。かいきんしょうである。
「さあ、かいきんしょうですよ。これはすごいことですよ。Yくんはプール休んでる日があったから、学校のなかでたぶんぼくひとりですよ。すごいものがもらえるんですよね? メダルですか? トロフィーですか? 当然賞状はありますよね? 表彰されちゃうんですか?」
これはおとなになってから知ったことだけど、皆勤賞とは「すべて出席すること」を指すことばであり、なにかしらの賞をもらうことではない、ということだ。
判子で埋め尽くされたプールカードを片手に、いつ表彰されるのかとドギマギしていたぼくは、びっくりするくらいに普通に夏休み最終日が終わり、いつも通り2学期が過ぎていくことを体験する。そのときはじめてぼくは、なにか大きな思い違いをしていることに気がついたのだ。
頑固さの使い道
ぼくにはこういうところがある。勘違いをすることも多いし、なによりも「やると決めたら最後までやりたい」というところがある。言い換えれば頑固である。
さて、なぜこんな話を思い出しているのかというと、最近自分のこの頑固さがクライアントさんに迷惑をかけてしまったからだ。
頑固さは多くの場合、マイナスに働く。頑固であれば周りとの衝突はどうしたって起こる。こだわりが強いほど周りからは理解されにくいものである。でもたまに、あの夏の思い込みが皆勤賞につながったように、頑固さがプラスに働くこともある。
そして思うのだ。
頑固さに限らず、あらゆる性格は、そうなんじゃないかと。
ほとんどの場面でうまくいかない。ほとんどの環境では何かしらの問題が生じる。しかし一部の環境において、一部の場面に限っては、その性格がプラスに転じる。輝きを放つことがある。きっとそういうものなんじゃないかと思うのだ。
大事なのは、自分の性格がプラスに働いた環境や場面を認識し、性格が活きる環境や場面を選んでいくことなのだ。
Yくんとのその後
その後、Yくんとは学校で会うたびに「あのときふたりだけだったよね」と話すようになった。たしか成人式で会ったときにもYくんは「プールふたりだけだったの覚えてる?」と言ってきた。Yくんにとっていい思い出になってくれていたのだろう。「かいきん賞」の勘違いと、頑固な性格が掛け合わさった偶然が、誰かの思い出に変われば、それはそれで本望である。