【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したものです。
ビジネスにおいて「差別化」は重要なポイントだと言われる。他社の商品との違いを明確に示すことで、競争する上で優位性を得るためである。しかし、最近この「差別化」の意味が変わってきていると思う。これまでは、他社と違うことをやる、他社のできないことをやる、他社が真似できないことをやる。これが差別化の意味であった。ところが、これからは「他社が真似するのを諦めるくらい手間暇をかけること」が差別化の意味となるのではないか。そんなことを劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を見て思った。このことについて言語化してみようと思う。
鬼滅の刃のアニメーションの迫力
先週の土曜日の夜、劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を観に行った。内容はもちろん面白かったのだが、映画全体として映像へのこだわりをミシミシと感じるくらい、とにかく映像がすごかった。ただのキレイな映像ではなく、どのシーンで何を伝えるのかまで細かく決められ、それに合った動きや流れになるよう映像が作りこまれているように思う。特に煉獄杏寿郎と上弦の参の鬼、猗窩座(あかざ)との戦闘シーンはこれまで見たアニメとは違う迫力を感じた。
ところで、鬼滅の刃は漫画とアニメで大きく異なる点があるという。それはナレーションの削除。漫画ではシーンの説明にナレーションを使っているのが、アニメではナレーションが一切なくなっているそうだ。
全てのナレーション表現を廃して脚本の中でキャラクターのセリフとして喋らせるのと同時に絵と演出で説明するという最も難易度の高い手法を行っているのです。実はそのまんまナレーションとして説明した方が正直表現としては楽なんです。しかしアニメーション『鬼滅の刃』ではその道を選択せずに最も難易度の高い方法を選んでいます。「何が起きているのか?」ということを脚本の中で(原作に無かった)キャラクターの心情を語らせたうえで、絵と演出で説明するという行為は本当に難易度が高い演出手法です。(私は初めてテレビアニメ『鬼滅の刃』を観た時にゾッとしました)
https://note.com/piroshi3/n/na401f975bc76
また他の記事では、作り手の細部へのこだわりと、そこにかける労力が伝わってくる。なんでもアニメの第1話を製作するのに1年かかったとか。
寺尾:そうなんです。第1話を作っていく中で、方向性をあれこれ実践しながら探っていったんです。もちろん最初にテストをするんですけど、いろいろなカットを作っていくうちに、「やっぱりこうした方がいいな」って新しい絵にして、カットで全部調整していくんですね。そうすると、最初のカットと、100カット目の練度が変わってくるから、「やっぱ100カット目のほうがいいから、頭の99は100カット目に合わせましょう」ってずっと納得するまでやっていたら、1年かかっていた……と。
寺尾:2ヵ月くらいかけているカットも結構あります。”それっぽい”ところにいくのは早いんだけど、そこを超えるのが苦しい。その表現を詰めるのに、ずっとちまちまああでもない、こうでもないと水面下でやっています。
寺尾:物語を描く、というとき、その主体であるキャラクターの感情や動きを最も精密に表現出来るのは、僕たちにとっては圧倒的に作画です。ただし、その表現には本当に膨大な作業が必用。基本的に描くという行為はものすごく人間の脳を消費するんです。でもコストがかかるからといって省略したり、なくしてしまうと、原作と食い違って違和感が生まれる。だからみんな死ぬ気で描くという。
https://area.autodesk.jp/case/animation/kimetsu-02/
差別化の意味の変化
これまでの差別化とは、他社にない機能をつけること(機能での差別化)、同じ機能であれば安くすること(価格での差別化)、他社にない保証をつけること(保証での差別化)、などであったと思う。そこにあるのは他社との比較である。しかしこの流れは変わってきている。
今回のアニメーションを手掛けたufotable社のように、細部にこだわり、見方によっては無駄だと思われるくらいの手間暇をかけること。効率化を求めて他社よりも速く安く作るのではなく、自分たちが没頭し、作りたいものを作ること。これが結果として、他社が真似するのを諦めるくらいの手間暇をかけることとなり、新しい差別化の意味になっている。
好きという原動力
どうしてそこまでの手間暇をかけることができるのか。手間暇をかけることを手間暇と思わないからだろう。好きなことだから、やりたいことをやっているからだ。これは想像だが、ufotable社には細部にこだわり制作することが好きな人が集まっているのではないか。個人の好きだという原動力があるから手間暇を惜しまなく制作できるのである。
因みに手間暇とは、たくさん残業するとか、休みなく働くとかそういう意味ではない。他の人がこだわれないところにこだわりを持てること、「なんでそんなところにこだわってるの?」と言われるようなことにこだわるという意味である。
差別化は目的ではなく結果
そう考えると差別化とは、差別化しようとしてやるものではなく、個人の内面的動機に沿って動いていれば、結果としてついて来るものである。「他と違うことをしよう」ではなく、「自分のやりたいことをやろう」である。やりたいから続けられる。やりたいからこだわれる。差別化しようと考えた時点で、もはや差別化できないのではないか。比較をしている時点で、他社(他者)が真似するのを諦めるくらい手間暇をかけることはできていない。逆説的だが、差別化するためには差別化を考えないことが大事なのだ。
企業の戦略
個人であれば、自分の内的動機に従っていれば結果として差別化になる。言うほど簡単ではないが、組織の中よりはやりやすいはずである。これが個の時代と言われる要因のひとつだろう。
一方で企業はどうだろうか。関わる人が多ければ多いほど、個人の想いやこだわりは薄まり、平均化されていく。その結果、生みだされる製品は平均的なものとなり、価格で差別化するしか選択肢がなくなる。だから多く作り安くする。これがこれまでの企業の戦略である。しかし、この戦略はいつまで通用するのだろうか。今後は組織の中であっても個の内的動機を活かす仕組みづくりが重要になるだろう。