【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したものです。
「こうあるべき」「慣例」「常識」
僕はこういった不文律のようなものは好まない。元々空気が読めないということもあるが、なんとなく型にはめられた窮屈さを感じてしまうからだ。最近はあえて空気を読まないことを意識して、割と制約もなく動けていると思っていたが、そんなことは無かった。実は知らない間に自分に制約をかけ、その制約の中でしか考えていなかったのである。
では、知らない間に作ってしまった制約にどうしたら気がつけるのか、その後どうやって取り除くのか。今回は自分で無意識のうちに作ってしまった制約について考えてみる。
経営者の方との話
2週間ほど前、経営者の方と会う機会があった。そのときに、こんな会話をした。
「大谷さんは、もし何も制約がないとしたら、何を作りたい?」
「制約がないとしたらですか?」
「うん。稼げるとか稼げないとか関係なく」
「それは能力とかスキルも制約なしですか?」
「そう。今できるかできないかとか、能力やスキルのありなしも関係ないとしたら、何を作りたい?」
こう聞かれたとき、答えに詰まってしまった。
「う~ん、考えたことなかったですね」
と言いつつも、話しながら考えたのだが、結局これといった答えは出てこなかった。何も制約のないときに何を作りたいのか出てこない。いつの間にか、できること、やれそうなことの中から、何をやるのか選択している。知らない間に自分に制約をかけてたのである。
瓶に入れられたノミの話
瓶に入れられたノミの話を知っているだろうか。ノミのジャンプ力はすごく、なんでも体長の150~200倍(約30cm)以上ジャンプするとか。しかし、ノミを瓶に入れて蓋をしておくと、ノミは蓋の高さまでしかジャンプしなくなり、その後、蓋を外しても蓋の高さまでしか跳ばなくなるのだそうだ。本来ならもっと高く跳べて、瓶の外に出られるのだけど、見えない蓋により外に出られなくなってしまう。
これは人間にも言えることだろう。自分で作った見えない制約によって、本来の力が出せなかったり、本来やりたいと思っていたことに、無意識のうちに制限をかけてしまうことがある。
見えない制約を取り除く
では、どうすれば見えない制約に気がつくことができるのか。ノミの場合、普通に跳べるノミを1匹瓶の中に入れると良いそうだ。そのノミが何度かジャンプするうちに、他のノミたちは元通り高く跳べるようになるのだという。
「なんだ、簡単なことだ」
と思いそうだが、逆に考えれば、外的要因がないと見えない蓋の存在には気がつかない。自分だけ、自分たちだけでは何が制約になっているのかに気がつけないのである。
今回の新型コロナ問題でも、この問題が起こったことによって、色んな見えない制約があったことに気づいた。例えば以下のようなこと。
・テレワークは問題なくできること
・オフィスは大きくなくてもいいこと
・セミナーはオンラインでも可能なこと
コロナ問題が起こらなければ、こうした見えない制約の中にいたままだったかもしれない。実際に僕も社外の人と話すことで、見えない制約にとらわれていることに気がつけた。
人はそれぞれの価値観を持っているし、それぞれの生き方をしている。自分とは違う価値観、違う生き方をしている人と関わることで、気づけることはたくさんある。だからこそ、見えない制約に気づき、その制約を取り除いて考えるために、普段は行かない場所に顔を出してみるのも良いかもしれない。
また、最近はオンラインサロンでも自分とは違う価値観、生き方をしている人と関りを持てる。こうした場に参加してみるのもいい。
作りたいもの
さて、何も制約が無かったとき自分は何を作りたいのか、ここ何日か考えていたのだが、ようやく答えが見えてきた気がする。それは今の学校教育に感じている下記の課題が解決された世界。新しい学校のスタイルである。
- みんなで同じことを学ぶが、社会ではみんなができることに価値はない
- 答えの出し方を学ぶが、社会では答えのないことに対して試行錯誤する能力が求められる
- 先生も子供もビジネスを学べる場が少ない
- 先生達の激務環境
- 教室のワンマン化(先生も大変だと思う)
今はただの思い付きともいえる。しかし、この思い付きを形にするべく、新しい教育を作るための商品を考え、会社に提案してみようと思う。今はほんのちょっとだけ高く跳べるノミを目指してみる。どうせ空気は読めないのだ。